2008年03月09日

「ジプシー・キャラバン」 流れる民の音楽

ジャスミン・デラル監督 『ジプシー・キャラバン』 (渋谷シネアミューズ)

原題: 『WHEN THE ROAD BENDS: TALES OF A GYPSY CARAVAN』

各国に散らばるロマの楽団が集結し、北米ツアーを決行する。

gypsy_caravan00.jpg約1,000年ほど昔のインドを起源とするロマの人々は、流れる民であるがゆえにその存在自体がどこか音楽的である。実際、彼らは音の連なりと戯れるように音楽を奏で、歌い、踊りながら大陸を流れ流れた。本作は、放浪の果てにインドから西欧にかけて散在するロマたちが北米に集い、6週間のツアーを共にする様子を収めたドキュメンタリーである。カメラは、彼らがアメリカの地を旅しながらそれぞれに音楽を披露し、あるいは互いに交流、交歓しながら異国の地に暮らす同胞との絆を深め、ロマであることの誇りについて語り合う様子を追っている。

ところで、音楽とはいったい何ものなのだろう。音の連なりによって紡ぎだされる得体の知れぬあるような無いような波のような像のような空間のような自在に変化する掴みどころのないある種の流体といえばいいのだろうか。本作を眺めている間、この音楽の摩訶不思議な魅力について繰り返し考えさせられた。というのも、ロマの奏でる音楽は、からだというか魂というか、このわたしの深いところへダイレクトに響き、その波の上に無条件に身を委ねたくなるほどの魅力に満ちていたのだ。音楽が生み出すこの感覚、感触は、どこから現れ、そしてどこへと消えていくのだろうか。

ロマの音楽には、どこか古代的な響きがある。弦楽器と打楽器により紡ぎだされるリズム、旋律は微細に変化しながら音楽のもつ柔らかさ、しなやかさを際立たせ、聴く者の魂を揺さぶり、高揚させる。彼らの音楽はどこか根源的で、奥深さを感じさせるが、実際、彼らは音楽を通して人間の心の奥深い領域に触れることができているのではないだろうか。だからこそ賤視されてきたのだろう。人間は根源的なものにただならぬ力を感じ、畏れ、近世、近代においてはそれを穢れたものとして排除しようとしてきた(過去記事1過去記事2)。ロマの人々は、流れ放浪することによってその排除の圧力に抗おうとしてきたのかもしれない。マケドニア出身の歌手エスマは、ロマは戦争を始めたこともなければ、人間を差別、排斥したこともないと訴える。それなのに差別されなければならなかった。さらにナチス政権においては、ホロコーストの対象となって、多くのロマたちがその犠牲にされなければならなかったのだ。

エスマの歌声には、人間が生きることの哀しみ、それでも尽きることの無い生への想いが籠められている。彼女のソウルは生死をひっくるめた悦びに満ちているのだ。音楽に世界を変える力はないのかもしれないが、例えば、この作品を通して人間の価値観を少しだけ更新するくらいのことはできるだろう。理屈抜きに楽しめる作品だからこそ、泣いたり笑ったりリズムを刻んだりしているうちにうっかり仕切線を跨ぐようなところがある。良作であると思う。
posted by Ken-U at 19:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(その他の国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ジプシー・キャラバン
Excerpt: 2006年 アメリカ 原題:WHEN THE ROAD BENDS: TALES OF A GYPSY CARAVAN 監督:ジャスミン・デラル 出演:タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、エスマ、ファ..
Weblog: KINOMANIE
Tracked: 2008-04-20 13:04
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