初期の作品から晩年のものまで、約500点もの作品が展示された大規模な展覧会で、ぼくは北斎のことはよく知らないし、浮世絵のことも分からないのだけれど、分からないなりに楽しむことができた。
*****

あと、この展覧会を通して最も興味をひかれたのは、描かれている対象が社会の辺境に存在しているものばかりであるところで、河べりや湾岸、寺院、街道、見世物小屋、そして遊郭などの境界的領域に生きる人々の姿が生き生きと、あるいは艶かしく描かれている。美人画で描かれているのは吉原の遊女や通りで客を引いている夜鷹と呼ばれる女性たちで、そのほかにも、漁師や職人、僧侶、力士、役者といった境界的領域に生きる人々の姿が繰り返し描かれている。こうした作品は、当時どう捉えられていて、どのような人々に支持されていたのか、そうした社会的な背景にも想いがめぐってしまう。
また、職人と絵師との繋がりという点では、櫛などのデザインの雛形となる絵手本が展示されていて、それが興味をひいた。当時はこういった絵手本を、職人向けに販売していたようだ。ただ、当時は美術とデザインの区分などはなくて、絵師もある種の職人だと見做されていたのだろうから、これは職人同士の横の連携だと捉えた方がいいのだろう。「葛飾北斎期」に読本の挿絵を多く描いたのも、物書きという職人との連携という背景があったのだと思われる。
人物画以外では、鳥や魚などの動物や、海、瀧や街道などの風景、そして霊峰富士が多く描かれている。ただ境界的領域を描くという意味では、春画の展示がなかったのは残念だった。別室でこっそりと展示するのも粋だと思うのだけれど。
*****
作品を眺めながら痛感したのは、自分が和服のことをあまりにも知らないということで、描かれている人々の服装から、当時の社会的位置づけなどの背景を読み取ることができないのが口惜しかった。中世から近世の日本人の服装がどういうもので、それがどういった変化を遂げたのか、そうしたことを少しは知っておくべきなのかもしれない。自分は和服とはまったく切り離された世界を生きている、という事実も再認識させられた。
描かれた対象が、うんと幅広いってことも、私も印象に残った部分です。
(やはり、北斎には春画も手がけてたんですね(^ー^;)ゞ)
改めて、北斎展が膨らみをもって感じました。ありがとう
北斎が描く世界や駆使する技法の幅広さには驚かされますね。それに、年老いても作品が枯れないというか、より濃密になっていくところに凄みを感じました。
北斎の作品は必ずしもお上品なものではないという感じたので、やはり春画コーナーがあったほうがいかがわしさが増して良かったのかもしれませんね。
やっと北斎展いく事ができました。
人生50年とかそんな時代の90歳ですから、
ものすごい「スーパーじいさん」ですよね。
私も春画は無いんだーと思ったのですが、
お子さん連れも結構いましたんで、
それはそれでよかったかなー。
長い人生の中、最晩年まで精力的に活動し続けた北斎は、まさに「スーパーじいさん」ですね。会場に展示されている作品を眺めていると、その情熱が伝わってくるようでした。しかし、脚がかなり疲れましたが。
私も北斎展にいってきました。混雑を押しても行って見て本当によかったと余韻に浸っています。
Ken-U さんの、北斎が社会の境界に生きる人々を描いていることへの視線は私に新しい感想をもたらしてくださいました。
この展覧会で北斎の人生に興味を持ち、伝記本を取り寄せることにしました。
春画関連に関しても、その大らかさと美しさに、現在の日本での性の扱いと引き比べてあれこれ思いをめぐらしています。
とても実りの多い展覧会だったと思います。
当時は賤視されていたであろう人々の姿がガラスの向こう側に並べられていて、現代人がそれを眺めながら美しさを感じている。そんな状況がとても面白かったです。
ぼくも北斎の生い立ちには興味があります。謎に包まれる部分が多い人でもあるようですが。伝記本を通して、当時の江戸の庶民というか、職人たちの暮らしぶりを覗き見ることができるのかもしれませんね。
遠近法も含めて、西洋画の技法を消化しながら北斎自身のスタイルを確立してるんですよね。その懐の深さには驚かされました。