2008年06月08日

「ブレス」 石礫から雪礫へ

キム・ギドク監督 『ブレス』 (シネマート六本木)

英題:『Breath』

男と会うために、女は刑務所へと向かう。

breath00.jpgあの時、女はなぜ刑務所に向かうことを思いついたのだろう。行く当てもないまま家を飛び出し、途方に暮れながら、それでもどこかへ向かわなければならなくなったとき、女は咄嗟にあの男のことを思い出した。おそらく、彼女は男の自殺未遂報道を目の当たりにしたとき、おのれの喉を掻き切ることで自死を図る死刑囚の姿と、渇いた世界の中で孤立し窒息しそうになっている自分の境遇を重ね、これから互いがたどる末路にどこかしら相通じるものを感じとったのかもしれない。

しかしながら、このふたりが出会い、交わって、すれ違うまでの過程の中で浮かび上がるのは、ふたりの世界がとても似ているようで実は異質なものであるという残酷な現実であった。このふたつの世界を切り分ける最も大きな要素は、「赦し」である。女の世界には赦しがあり、男の世界にはそれがなかった。この差異が、ふたりのたどる結末を大きく変えてしまうのである。作中、神の領域に身を置くキム・ギドクは、このふたりの恋愛の行方を見守り、そこで女の気持ちをできうる限り尊重しながらも、しかし彼女が男の世界に絡めとられるのをぎりぎりのところで防ごうとする。

このふたつの世界の差異が際立つのは、やはりあのラストの描写だと思う。ここで印象深く感じられるのは、雪遊びに興じる女とその家族の姿である。石礫から雪礫へ。かつてキム・ギドク作品といえば、飛礫を投げる行為が怒りの象徴としてつかわれていたのだけれど、本作では、石礫に代わって雪礫が、赦し、あるいは和解の象徴として扱われている。女とその家族は雪礫を投げあう。白い雪の玉は、それぞれの顔に、身体にぶつかりながら柔らかく砕け散る。戯れの中で、女は笑みを浮かべる。


posted by Ken-U at 17:37| Comment(2) | TrackBack(1) | 映画(キム・ギドク) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Ken-Uさん、こんにちは。コメントとTBをありがとうございました。

私が本作に違和感を持ったのは、「二人の世界の差異」に対してかもしれません。
女は男と交わることで生まれ変わり、家族の元へと帰って行きますが、男にあるのは「死」だけです。
女は男を利用したともとれるし、そうさせたのは「監視カメラ」の先のギドクですよね。
監督でもある彼の意図が、今ひとつ掴めませんでした。
たとえ虚構と現実があやふやでも、「凄い!」と感じられるような作品を見せて欲しいです。
ではでは、また来ます。
Posted by 真紅 at 2008年06月10日 15:04
真紅さん、コメントありがとうございます。

なるほど、真紅さんは二人の世界の差異そのものに違和感を持ったんですね。ぼくは、この作品に流れる独特のユーモアみたいなものに馴染みきれないとろこがありました。この作品に対する監督の意図がどこにあるかはわかりませんが、ふたつの世界の差異と、その差異に対する違和感を描こうとしたのかもしれませんね。
これからギドク作品がどこへ向かうのか、予想がつきませんが、期待と不安をまぜあわせながら次作を待ちたいと思います。
Posted by Ken-U at 2008年06月11日 07:37
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Weblog: 真紅のthinkingdays
Tracked: 2008-06-10 14:54
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