2008年07月06日

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」 父なるものとの確執、両価的感情の揺れ

ポール・トーマス・アンダーソン監督 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 (アミューズCQN)

原題:『THERE WILL BE BLOOD』

油井の暗闇の中で、男は一心不乱に鶴嘴を振り下ろしている。彼は石油の採掘におのれの人生を賭けているのだ。その肌と衣服は汗と粉塵にまみれ、黒々として闇に同化してみえる。やがて、地の底から石油が湧き上がる。黒い液体が天高く噴出する。男は噴油の様を見上げる。

there_will_be_blood_00.jpgP.T.A.が原作物を撮り、新境地を開いた。という情報をどこかで目にしていたので、どんな映画に仕上がっているのだろう、と興味を持ってこの新作を鑑賞した。けれど、やはりP.T.A.はP.T.A.であったというか、むしろ本作には過去の作品との強い結びつきを感じた。

例えば、P.T.A.の長編二作目にあたる『ブギーナイツ』(過去記事)では、父と訣別したにもかかわらず、その後、自らの巨根を武器に生き延びようとする青年の姿が描かれていた。そして三作目の『マグノリア』(過去記事)では、見境なく男と寝る女、失くした拳銃を探し回る警官、ある男への叶わぬ恋に焦がれる同性愛者、男根賛美のカルト教団に君臨する男、といった、男根に強く依存する人々の生き様が絡み合う中、この世界の凝縮体であるクイズ番組から抜け出ようとする少年の姿が描かれている。この二作品に通底しているのは、男根で象徴される父的なるものへのアンビバレントな感情である。

そしてこの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の中にも同様の構図を見出すことができる。男はかつて父親との関係に問題を抱え、家を捨て去って、以来、石油の採掘に全霊を傾けてきた。この石油とは、過剰なエネルギーを持つ人間の欲望の凝縮体であり、その黒々とした液体が地の底から噴出するときにみせる姿はあたかもそそり立つ男根のようである。彼は自分の父親を憎んでいるのだが、しかし父的なるものから逃れることができずにいる。彼は父の不在を乗り越えることができないのだ。そして彼の「息子」も、彼と同じ人生を歩もうとする。

しかし、男はおのれの弱さから目を背ける。だから彼は、自分の目の前に現れるおのれの影を消し去らなければならないのだ。彼は、最後に「I finished」と言った。しかし、あのラストは終わりの始まりを描いているに過ぎない。彼の「息子」が最後にとった行動は、この物語が作品の中では完結しえないことを表わしている。だから父なき世界を生きなければならない私たちは、自身の弱さと向き合い、それを乗り越えない限り、おのれの影を消し去るために大量の血を流し続けなければならない。この『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、およそ百年前に溯る、この流血の時代の始まりを描いた作品なのだと思う。我々は、ここで描かれた世界の延長線上を生きているのだ。いまこの瞬間も、止め処なく血は流されている。

よい映画だと感じた。観ているうちに、普段は心の奥底にしまっているはずのどろどろとしたものがとぐろを巻きながらこみ上げてくるのがわかる。偽善への怒り。憎悪。それらの感情が火柱と化した油井の姿に重なる。そして、平手で繰り返し頬を殴りつけるショット、あるいは懺悔を強いるシークエンスに心を揺さぶられる。そのうち、わたしはあの石油商人であり、神父であり、少年でもあるような気がしてくる。わたしもこの救いのない血みどろの世界を生きているのだと実感する。

2006年01月16日

「マグノリア」 I love you and I'm sick

ポール・トーマス・アンダーソン監督 『マグノリア』 (DVD)

冒頭、警官のジム・カーリングが”マーシィ(mercy)”という女を捕らえ、連行する。その直後、彼の前に預言者が現れるが、ジムは預言者の吐く言葉が理解できず、その予言を退けてしまう。慈悲や予言という施しが排除された後に、この物語は幕を開ける。

magnolia03.jpgいくつかの物語がパラレルに進んでいく。それぞれの物語に共通しているのは、家庭の崩壊と父親に対する憎悪だ。夫婦の間の裏切り、そして父親の子供に対する抑圧、陵辱、搾取が描かれている。
傷ついた子供たちはトラウマを抱えたまま成人する。クローディアは自傷行為に走り、フランクは捏造したフィクションの中で超越者として振舞う。ドニーは行き場のない愛を抱えたまま街中を彷徨う。彼らは出口のない闇の中を生きているようにみえる。

神の力を借りながら、この作品は近代の父権的な共同体に罰を与えようとしているのかもしれない。その点で、ジムとクローディアの恋愛劇は象徴的な描かれ方をしている。
初めてのデートの直前、姿の見えない何者かの力によって、ジムは拳銃を失くしてしまう。これは男根的なものを奪うことによる神の忠告だと受けとめることができる。この事件をきっかけに、彼は態度を変える。それまではとても権威的だったものが、とても柔らかい受容的なものへと変わっていくのだ。忠告を受け入れたジムは、クローディアとの恋を成就させる。彼は未来を与えられた。

*****

フランク・マッギーの父親、アール・パートリッジは罪を許されるただひとりの父親として描かれている。彼は癌に侵され、病床に伏している。死を目前に控えながら、アールは過去の罪を悔いる。
人生を好きに送れば悔いがない。その考えは誤りだった。人間は勝手に生きればいいというものではない。死の目前にして、アールは懺悔する。そして望みであった息子との再会を果たし、永遠の眠りに就く。救済は死によってのみもたらされるのだ。

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過去に犯した過ちを消すことはできない。しかもその罪はどこまでも追いかけてくる。人間は命ある限り過去の呪縛から逃れることは出来ないのだ。だから過ちを犯す前に気づかなくてはならない。知識を捨て去り、早く気づかなければ手遅れになってしまう。過ぎた時間を取り戻すことなどできはしないのだから。このメッセージは胸の奥に閉じ込めている何かに触れる。

台詞の中には多くのメッセージがちりばめられている。この作品を観ていると懺悔したり、祈っているような気持ちにさせられてしまうのはそのためなのだろう。
蛙オチに限らず、この作品には聖書から引かれている要素が多い。だから掴めないところが多々あるのだけど、そのおかげで観る度に新しい発見がある。といってもまだ2度目の鑑賞なのだけど。観ていると痛みが伴なうのに、何度でも観たいと思わせる作品だ。

『ブギーナイツ』を観た時に、ポール・トーマス・アンダーソンは心の友だと思ったけれど、この『マグノリア』を観てその想いはさらに強まった。彼は自分の身代わりなのではないか、とさえ錯覚した。それほどこの作品には響くものがある。

2005年03月08日

ブギーナイツ ある擬似家族の群像劇

ポール・トーマス・アンダーソン監督 『ブギーナイツ』 (DVD)

ポルノ映画業界を舞台にした群像劇。

boogienights01.jpg70年代後半。ポルノ映画監督のジャックは、クラブでバイトしているエディをひと目で気に入り、彼を即座にスカウトする。郊外の殺伐とした家庭の中で居場所を見つけることがでずにいるエディーは、ジャックのオファーを受け、家を出て、ポルノ俳優への道を進むことを決心する。そしてエディーは、自らの巨根を活かし、ポルノ映画界の寵児となることに成功するのだった

ジャックの仕事仲間は、共に暮らし、働き、パーティーをして、交わりあい、互いに絆を深め合いながら生き延びている。その在り様は擬似的な家族のようにもみえる。彼らはみな、本来の家族との間には問題を抱えていて、心に深い傷を負いながら生きているのだ。

その後、80年代に入り、新たにビデオというメディアが普及するようになると、素人の参入が容易になり、ポルノ業界は変化を迫られるようになる。そして、ジャックやその仲間たちも試練にさらされる。なかには、ジャックのもとを去り、破滅してしまう者もあらわれる。業界のスター俳優であったエディーもその例外ではなく、慢心がたたり、ジャックにクビを宣告されてしまう。

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人は生きていくうえで、ときに傷つき、または誰かを傷つけてしまう。あるいは、犠牲を払いながら試練を生き延びていかなければならない。ジャックもまた、自身の理想を捨て、ビデオに活動の場を移し、素人俳優を起用しながら制作を続ける。そして傷ついて戻ってきたエディを赦し、再び彼の共同体に受け入れるのである。

ジャックをとりまく人々の悲喜こもごもを、ポール・トーマス・アンダーソンは見事に映像化している。この作品の公開時、まだ彼は20代であった。その若さでこの脚本はちょっとすごいと思う。キャスティングも素晴らしいし、映像や音楽もいい。笑えるショットもうまく組み込まれているし、そして泣ける。あと、エディーの巨根ぶりはラスト・ショットまで隠されていて、それまでは周囲の人々のリアクションのみによって表現されているのだけれど、それがまた笑えてよいのだ。

ポール・トーマス・アンダーソンはぼくの心の友だけれども、本作はそのきっかけになった作品である。

2005年03月03日

「パンチドランク・ラブ」 受容と救済の物語

punchdrunklove.jpg『パンチドランク・ラブ』を鑑賞。ポール・トーマス・アンダーソン監督。90分ほどの小作品。

アダム・サンドラー演じるバリー・イーガン。彼は勝気な姉達にされながら育ったせいか、女性恐怖症気味で、コミュニケーション下手、そしてキレやすい。その彼が運命的に出会った女性と恋に落ち、成就させていく物語。

バリーは姉の同僚、リナに一目惚れするが、リナも既に彼の写真を見て恋に落ちている。そしてリナは不器用なバリーの全てを許し、受け入れる。そこに迷いがない。一歩間違えるとかなり危ない物語なんだけど、そこを映像の力で魅せ切るのはさすがだと思った。

シナリオに凝ってた過去の作品とは違って、ストーリーそのものはとてもシンプル。劇場で観たときはちょっと拍子抜けに感じたくらいだった。へんな思い込みがない分、今回の方が楽しめた。けっこうグッときてしまった。映像や音響の効果が素晴らしい。感情の動きと光や色彩、音が繋がり合ってて心に滲みる。彼の作品も繰り返し観たい欲求に駆られてしまう。

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「ブギー・ナイツ」を最初に観たのはTVだった。70年代の風俗を描いた軽いノリの映画だと思ってたらとんでもなかった。心を揺さぶられて泣けた。それ以来、ポール・トーマス・アンダーソンは心の友だ。彼の作品にでてくる人達は心に傷を抱えいて、孤独で、そして自ら犯した過ちに苦しんでいる。しかし物語の中でその罪が許される。そういった展開が多いような気がする。

彼が代表作をつくるのはこれからなのだと思う。新作の予定はないようだけど、早く観てみたい。
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