
2015年2月25日(水)
『アメリカン・スナイパー』
監督:クリント・イーストウッド
原題:American Sniper
場所:新宿バルト9
この作品を戦争映画としてみると、というか、戦場の描写に多くの時間を費やす本作はまぎれもなく戦争映画といえるのだけれど、まずその戦地の描写に引き込まれた。作り物とはいえ、これがあの頃のイラクなのかと。米軍がファルージャを攻撃したとき、現地はこのような惨状だったのか。戦地の様子を眺めながら、そこに当時の記憶を重ねた。このような、あるいはさらにむごいカオスの中で、彼らは互いに殺しあっていたのだ。過酷な戦争の現実。まだ幼い「テロリスト」を容赦なく射殺し、その一方で、撃たれた仲間が血塗れになり倒れる。殺戮が無限に繰り返されていく。それでもあの地獄に自ら赴き、正義のために戦う人たちはやはり英雄なのだろうか。それとも単なる野蛮人なのか。
殺人のプロ、米軍の狙撃手であるクリス・カイルには妻と子がいる。仕事に没頭する父親と家族との軋轢はクリント・イーストウッド監督が繰り返し描くテーマなのだけれど、この「アメリカン・スナイパー」もその流れをくむ作品なのだと思う。正義のために繰り返し戦場に赴き、生きた伝説ともいえる名誉を得るのだが、その一方で取り残された家族との溝は深まっていく。そして最後までその絆が元に戻ることはない。
この二つの物語を描くことによって、本作は戦争が人間から奪うものは命だけではないことを伝えている。それでも戦争を続けなければならない理由とは?人が人を殺さなければならない合理的な理由は存在するのだろうか。殺人の欲求はどこから生まれてくるのだろう。人間が殺人の欲求を乗り越えられる日はくるのだろうか。