
確かに冒頭には死体が現れるし、事件に巻き込まれてしまったバージル・ティブスは犯人探しに奔走する。しかしこの作品では”善と悪”というよりも、アメリカ社会に横たわる”黒と白”の境界をめぐる物語の方にカメラが向けられていた。
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ミシシッピ州のスパルタ。母親を訪ねるために帰省していたバージル・ティブスは、殺人犯と見做されて警官に逮捕されてしまう。その後、ティブスが警察官であることが判明し、彼は釈放される。また、彼が殺人事件のスペシャリストであることが判り、被害者の妻の強い希望もあって、署長のギレスピーは強い抵抗を感じながらもティブスに協力を依頼する。黒人であるティブスに捜査協力を求めなければないという現実に、ギレスピーは苛立つ。彼も他の南部人と同様、黒人を強く賤視する人間だからだ。ここから”黒と白”の間の衝突、葛藤、そして融和するまでの過程が描かれている。
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賤視による差別の問題はこの国の中にも存在しているけれども、社会の表層には現れ難い。アメリカではそれが肌の色の違いという、非常に判りやすいかたちで剥き出しにされているから、この国の差別とはかなり状況が異なっていると思う。だからこの作品が持つ重みを理解するには限界があるだろう。しかし、この物語を普遍化させながら、自分なりに掴むことはできるんじゃないだろうか。
この作品のみどころは、黒と白との衝突、つまりティブス役のシドニー・ポワチエと、ギレスピー署長役のロッド・スタイガーが、火花を散らしながら互いの演技をぶつけ合うところにあるんじゃないだろうか。ある殺人事件をきっかけにすれ違うふたりが、強く衝突し、反発しながらも友情を芽生えさせる。それがラストにおけるふたりの表情に集約されているようだった。
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作品中、「終わりのない夜はない」という台詞がつかわれている。当時のアメリカでは、黒人の開放をめぐる暴力の連鎖が社会問題になっていたはずだ。その現実が、「夜の熱狂」として観る者に突きつけられていた。しかし同時に、必ず夜は明けるはずだという祈りのような気持ちも、この作品にはこめられていたような気がする。この作品が公開されて40年近くが経った今、果たして、アメリカに夜明けは訪れているんだろうか。