2015年06月19日

「未見の星座 つながり/発見のプラクティス」 消え去るものの美しさ

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2015年2月27日(金)

『未見の星座 つながり/発見のプラクティス』
作家:淺井裕介など
場所:MOT 東京都現代美術館

この企画展のお目当ては淺井裕介の泥絵。マスキングテープをつかったインスタレーション作品は見ていたのだけど、本格的な泥絵はMOTの常設展で見て以来。やはり淺井裕介は泥絵だなと満足した。古代的にも感じられる壁画も素晴らしいが、その素晴らしい絵がやがて消えてなくなると思うと得もいわれぬ感情がこみ上げてくる。美しい。なぜ消え失せてしまうものはこうも美しく見えるのだろう。
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2015年02月26日

「ACTOR・シミズイサム」 滑稽と哀愁のモノクローム

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2015年2月8日(日)

『ACTOR・シミズイサム』
作家:森山大道
場所:Akio Nagasawa Gallery 銀座

森山流のユーモアとペーソスが感じられるシミズイサムのポートレート。発表機会の少なかったレアものだそうで、眺めていて昭和に対する郷愁のような感情がこみ上げくる。躍動感のあるシミズ氏の身振りと、おどけた表情の裏側に感じられるある種の哀しみ。かつて芸能の世界を眺めるときに感じられたあの陰影はどこにいってしまったのだろう。影は排除され、この世界は光に満ちる。森山大道のモノクロームに惹かれるのは、気づかぬうちにその眩さに疲れているからなのかもしれない。
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2015年02月17日

「Cosmic Perspective」 生命を包み込む世界

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2015年1月31日(土)

「Cosmic Perspective」
作家:塩保朋子
場所:SCAI THE BATHHOUSE

紙のような素材に切り絵のような細工を施して形づくられる作品群。作品の近くに顔を寄せると、手仕事による繊細な技術が感じられる。離れて眺めると、それがある種の生命体のような不思議な空気を漂わせる。

もっとも気に入ったのは、奥の暗室に展示されていた「Universe」という大作。母体や宇宙など、暗がりの中に生命を包み込む世界の広がりが感じられた。現代美術はコンセプトもそうだけど技術も大切だなと。
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2015年02月16日

「デヴィッド・ボウイ・イズ」 エイリアンを愛す

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2015年1月28日(水)

『デヴィッド・ボウイ・イズ』
監督:ハミッシュ・ハミルトン 
原題:David Bowie Is
場所:新宿ピカデリー


ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)で2013年3月23日-8月11日に開催された回顧展。そのドキュメンタリー。

10代のとき、初めて自費で購入したアルバムはボウイの代表作「ジギー・スターダスト」だった。ボウイは自らが「宇宙人」であることを初めてカミングアウトしたロックスター。彼は、その後も繰り返しそのペルソナを更新し、創作のスタイルを変化させながら、ロックの領域を、また音楽に限らず視覚表現の世界をも拡張し続けた。本作では、その過程を様々な映像を通して追うことができる。

当時、そうしたボウイの存在がぼくの心の拠り所だったことを思い出した。この世界に対する違和感。言葉にすることもできず、だた漂流するばかりの心。ボウイは、そうした魂の動きをすくいとり、ロックの中に籠めて、この世界と衝突させ、爆発させたのだ。ぼくは時系列に彼のアルバムを購入しながら、その火の粉のようにきらびやかな世界に心酔した。そして10代の時を生き延びた。

2年前、夏休みにロンドン旅行を企てたのだけどスケジュールが合わず断念。回顧展を観るという夢は果たせなかった。日本への巡回もないようなのでかわりに図録(限定の日本語版)を購入したのだけれど、こうして動く映像を観るとより体験に近づく。いろんな思い出が蘇って、胸が少しチリチリとした。
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2015年02月10日

青山で写真三昧

1月24日(土)
妻が睫毛のエクステンションをつけてる間、ギャラリーをハシゴ。写真展を眺めた。

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森山大道『Dazai』(AM)

森山大道が描く太宰治。『ヴィヨンの妻』が下敷きになっているようだけど、それより森山大道の色が前に出た写真だった。しかしこの迫力はどこから湧き出ているのだろう。

***

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『TANGE BY TANGE 1949-1959 丹下健三が見た丹下健三』(TOTOギャラリー・間)

丹下健三の初期に注目し、作品ごとにコンタクトシートが展示されている。又、中庭では大きく引き伸ばされた写真を見ることもできる。年末年始、Eテレで見た建築関連の番組でにわかに丹下健三のことが気になりだし本展に足を運んだのだが、その方面の知識があればさらに楽しめたと思う。印象に残ったのは広島平和記念資料館のコンタクトシート。なにもない広場にモダンな建築物が立ち上がり、また、そこに多くの人々が流れ込んでゆく。

***

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ホンマタカシ『チャンディーガル(Chandigarh)』(CoSTUME NATIONAL ・LAB・)

ル・コルビュジエによる都市計画で国際的に知られるというチャンディーガル。といっても、この日までそうした背景は知らなかった。ギャラリーには写真の展示だけではなく、現地で撮られた映像も流されていた。いかにもアジア的な喧噪。その背景に広がるモダン建築。色彩が綺麗だった。

まだ文章を書くことに馴染めてないのだけど、ぼちぼちといきたい。
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2015年01月12日

『王国』 隔絶された世界 その孤独と連帯

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奈良原一高 『王国』 (国立近代美術館 MOMAT)

facebookで見かけ、面白そうだったので妻を誘って鑑賞。会場は常設展のブースの一部で、『王国』に加えて『人間の土地』など別の作品の展示もあった。北海道の修道院と和歌山の女性刑務所、さらには軍艦島など、この世界から隔絶された空間で生きる人々の姿を切り取っている。私的には、より「作品」らしく撮られた『王国』よりも、デビュー作にあたる『人間の土地』の方が好みだった。

MOMATのウェブサイトより、タイトル『王国』の由来について引用しておく。

*****

タイトルの「王国」は、アルベール・カミュの中篇小説集『追放と王国』(1957) にちなんでいるものです。奈良原は、同書におさめられた一篇「ヨナ」の結びにある以下の一節を、作品発表時に引用しています。

「その中央にヨナは実に細かい文字で、やっと判読出来る一語を書き残していた。が、その言葉は、Solitaire( 孤独) と読んだらいいのか、Solidaire( 連帯) と読んだらいいのか、分からなかった。」


*****

孤独と連帯。あの作品群とこの言葉はどのように繋がるのだろう。隔絶された世界と連帯について。奈良原一高は読書家なのだろう。調べたら、瀧口修造などとも交流があったようだ。詳細は忘れてしまったけれど、『ブロードウェイ』のコンセプトも面白いものだった(ただし、魚眼レンズで撮られた作品群はあまり印象に残らなかったけれど)。写真の範囲にこだわらず今のテクノロジーで表現された『ブロードウェイ』を観てみたい。
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2011年06月25日

「写楽」 駆け抜け、燃え尽きる

『写楽 特別展』 (東京国立博物館)

写楽の活動期間は一年弱と短いが、本展ではその作品群を四つの活動期に分けて展示。

sharaku.jpg第1期:夏狂言に取材した雲母摺りの豪華な役者大首絵
第2期:秋狂言に取材した全身像
第3期:その他の役者絵、役者追善絵、大童山を描いた相撲絵
第4期:新春狂言に取材した作品群

写楽の絵師のしてのピークは第1期で、華々しくデビューを飾ったが、以降、人気は衰退。作品が洗練されるとともに力が弱まっていくという流れはパンクに似ていて、大首絵の勢いや、役者そのものを写実的に描く点など(女形でも男性である役者そのものを描いている)、その大胆な作風も当時としてはパンク的だったのかもしれないなあ、などと勝手に考え、その在り方を70'sロンドンの下衆な音楽と重ねてみたり、息の長い活動をした北斎(過去記事)と比べて考えたり、浮世絵の幅の広さを自分なりに認識することができた。

実際、同時期に活躍した絵師の作品と比較できるよう同じ役者を描いた作品を並べて展示されていたり、単に絵をみるだけではなく、いろいろ夢想できるよう工夫を凝らしてあって、小一時間でさらさらみるつもりが、気づくと2時間近く居座ってしまった。

その後、閉館のアナウンスを聞きながらカタログを購入。暮らしが落ち着いたらゆっくり目を通したい。やはり写楽の絵は悪役の方がいいねとか、北斎のカタログと比較してみたり、そんな心のゆとりが欲しい。
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2011年01月02日

「Transformation」 変態する生命のかたち

『トランスフォーメーション ― 東京アートミーティング』 (東京都現代美術館)

テーマ:「変身-変容」

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変身を描く意味。人と、人に非ざるモノとの交わり。人は外部の世界に畏怖を感じ、そこに棲むものにも強い畏れを抱くのだけれど、同時に、それらに対する憧れのような気持ち、得もいわれぬ複雑な感情が湧きあがって、妄想を掻き立てられ、あらぬことをあれこれ想像する。焦がれる気持ちといえばいいのだろうか。エスカレートしたその想いが現実の壁を突き抜け、得体の知れぬcreatureを生み出すのである。いわゆる変態である。この本展は、現代を生きる芸術家たちの作品を通して、人間の心の中に宿る様々な変態の在り方を示そうとしている。予想以上に充実した企画展だった。

ビデオ作品が思いのほか多く、限られた時間の中で鑑賞するのは難しかったけれど、後日、時間をみつけて再訪できればと思う。とくに、楽しみにしていたMatthew Barneyの『Cremaster 3』をさわりだけしか観られなかったのは残念だった。あと、高木正勝は予想以上の出来、さらに発見だったのはLee Bulで、彼女の、人体の神経系モデルのような、シャンデリアのようなオブジェクトには心惹かれた。今、変態は人智を超える世界の住人だけではなく、急速に発展を果たし、身体に侵入せんとする科学技術、人智の先端領域とも交わろうとしている。

存亡の危機。揺らぐ境界線。人は存在の危機を感じるほどの外部の存在を意識するとき、それに対し、拒絶、攻撃や無視など様々な態度をとるけれど、敢えて交わることによりみえてくるもの、得られる感覚もあると思う。畏れるばかりでなく、その闇の中へダイブすること、生をより豊かにするために、未知の世界に視点を移し、人間界を覗き直してみるのもいいかもしれない。

***

『生はチャームであるべきである。魅惑であり、魔術であり、謎であり、歓びであるべきである。今日のアートには、そのことを人々に告げ知らせる力が、まだ存分に残されているのではないか。』(中沢新一/公式カタログp.14)
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2010年12月12日

Daido x Mika x Kishin

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森山大道 『津軽』 (Taka Ishii Gallery)

久し振りに眺める森山大道のモノクローム。東北の陰翳が、印画紙に深く染み入っている。昔、一度だけ東北に足を運んだことがあるのだけれど、新幹線の窓から田園を眺め、恐い、と感じたことをいまでも憶えている。子供の頃から田舎の景色は見慣れているはずなのだけれど、南とは違う何かが東北の景色にはあるような気がする。影が濃いというか、深い。その影の向こうに何か恐ろしいものが隠れているような。

*****

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蜷川実花 『noir』 (小山登美夫ギャラリー東京)

蜷川実花らしい、色彩溢れる作品群。しかし、パルコギャラリーで2001年に観た『まろやかな毒景色』みたいな演出はなく、少し寂しい気がした。『まろやかな…』では、靴を脱ぎ、ふかふかした床の上でくつろぎながら、毒々しく色鮮やかな写真を眺めた。あれから九年、蜷川実花も僕も九歳年をとり、きっと世界の見え方も変わったのだろう。この寂しさは展覧会の演出だけによるものではなくて、たぶん、『noir』というタイトルと繋がりがあるのだろう。

*****

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篠山紀信 『山口百恵|篠山紀信』 (Hiromi Yoshii Gallery)

山口百恵って人は信じられないくらい影のあるアイドルだったんだなあ、とつくづく感じた。艶かしい写真もあったけれど、彼女の身体そのものより、どちらかといえばその表情から醸し出される陰翳に心惹かれたのだ。僕の友人だったあいつはこんな女に夢中になっていたのか、しかも小学生の頃に。

しかしTVも変わり、彼女のような存在を受け入れる余地はなくなってしまった。世界はTVから影を追いやり、映画館を潰してゆく。そして写真は?

*****

久し振りのギャラリー巡りは楽しかったけれど、限られた時間の中でばたばたみて回らなければならず、それが残念だった。
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2010年05月03日

「フセイン・チャラヤン」 横断的デザイン、スタイルは混交する

『フセイン・チャラヤン- ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅』
(東京都現代美術館)

過去のアーカイヴといくつかのビデオ作品など。

hussein_chalayan00.jpgフセイン・チャラヤンというと、ロンドンを拠点とするデザイナーであり、コンセプチュアルなアプローチによる服づくりとか、幾何学的な鋭いカッティングであるとか、そうしたいかにも現代的デザイナーという印象が強く、というか実際そうした側面はあるのだけれど、しかし今回あらためて彼の作品群を眺め直してみて、そのイメージが少し変わった。

モダンな服づくりという表層の下に、西洋の洗練とは相反する、野性的な、民族的な要素が籠められている。最新のテクノロジーを媒介として、そうした異教的な要素を西洋的デザインのなかに侵入させること。それが服づくりにおけるフセイン・チャラヤンの主要なテーマなのかもしれない。おそらく、彼の横断的なデザインの背景には、キプロス島の生まれであるという彼の出自も影響しているのだと思う。私的には、とくに2007S/Sの、自律的に変態するドレスのコレクションに魅了された。服が、自ら生地を縮ませ、それを纏う女性の身体を露わにしていくのだ。そして最後のドレスは、服地がすべて頭上に収束し、無防備な美女を全裸にする。背景で鳴るトライヴァルな音楽の効果もあり、その様子がとても艶かしく感じられた。洗練された野蛮、とでもいえばいいのだろうか。

Hussein Chalayan 2007S/S (link)
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2010年04月29日

「エレメント」 自然と建築、詩と音楽が繋ぐ

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『「エレメント」構造デザイナー セシル・バルモンドの世界』
(東京オペラシティアートギャラリー)

『四角いデカルト的な世界は、限定された空間である。私たちは、その中に住みその空間を使っている。しかし一方で、私たちは、幾何学をほかの方法でとらえることを知っている。私は、形のなかに生き生きとした感覚を取り戻したいと思っている。ギリシャのように、哲学的な基礎に支えられた、生きた有機体のように。』(ハンドブックより)

構造デザイナー、と聞いてもぴんとこなくて、ただ好奇心の赴くままに会場に足を運んだのだけれど、展示室内は不思議と居心地がよく、なぜか癒される雰囲気もあって、理解のレベルを超えて楽しむことができた。

まず、画やテクストがプリントされたスクリーンがいくつも天井から垂らされ、それらが迷路のような空間をかたちづくっているエリアがあって、その森のような迷路を抜けると、様々な幾何学の係数が散りばめられたオブジェクトが視界に入り、さらにその先、靴を脱いで進むと、薄暗く広い室内にいくつかの巨大な造形物、映像がなどが配置されていて、様々なイメージで刺激された挙句に心が解放され、室内なのに、夜の野原に身を置いているような不思議な感覚を抱かされる。遠くには山の稜線が見え、そばには岩が横たわっていて、空には星が瞬いている、ような気がする。実際、床に腰を下ろして虚空を眺める人もちらほら。

自然を見つめ、イメージを掴みながら、それを幾何学のフィルターに通して新たな形を生み出す。建築とは、人間が行う反自然的な行為であると思うのだけれど、おそらくセシル・バルモンドは、詩や音楽の力を借りながら、相反するはずの自然と建築を新たな思考、手法により繋ぎ直そうとしているのだろう。

不思議なことに、展示物を眺めていてふと折形教室(過去記事)のことを思い浮かべた。折形とセシル・バルモンド、スケールに大きな違いはあるけれど、互いの思考には何か通じるものがあるのかもしれない。
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2010年04月05日

「つつむ・むすぶ・おくる」 縁の重なり、結び

『折形デザイン研究所の新包結図説・展』 報告+出版記念イヴェント

「つつむ・むすぶ・おくる」 山口信博 x 石倉敏明 (LIFE CREATION SPACE OVE)

折形デザイン研究所代表・山口信博さんと芸術人類学研究所助手・石倉敏明さんのトークショー。

origata.jpg冒頭、おふたりの関係について。石倉さんがまだ学生のころ、中沢ゼミの誰かの仲介で、折形デザイン研究所の方々と『カイエ・ソバージュ 愛と経済のロゴス』(過去記事)の勉強会を開いたことがあり、それ以来のつきあいなのだそうだ。地下鉄サリン事件以降、中沢さんは世間からバッシングを受けていて、業界からも干されていたから、当時、ゼミ生はまだ肩身が狭く、そんなときに外から声を掛けてもらえて嬉しかった。などというエピソードが披露された。

山口さんはもともとグラフィック・デザイナーで、どちらかというとスイスあたりのモダンデザインが好きだということなのだけれど、しかし折形との偶然の出会いにをきっかけに和の世界に辿り着いたのだという。聞きながら、縁の不思議さについていろいろ考えてしまった。

締めは、山口さんのおじ様の挨拶。イヴェントの盛況振り、客層の若さにいたく興奮されていて、最後、展覧会を是非とも都心で開きたい、協力がほしい、と訴えられた。昔、彼は神学を学び、その後は禅を経験したり、やはり西欧と日本文化を結びつけることにたいへん興味を持たれていて、お幾つくらいなのだろう、年齢を感じさせない情熱のほとばしりに心が揺れ、同時に頬が緩んだ。

イヴェント後は、軽くお菓子とお茶。で、研究所へ移動して展示を見学した。研究所は落ち着きのある素敵な空間で、店舗でもあるので、熨斗袋など、また買い物にきて、結んだり包んだりしたい。
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