2009年06月06日

「手仕事により、フォルムをつくり直した女性と男性のための服」

メゾン マルタン マルジェラ:

『手仕事により、フォルムをつくり直した女性と男性のための服』 (EYE OF GYRE)

ラベルナンバー「0」

martin_margiela.jpg既成の服地や他のオブジェクトを再利用し、新たな衣服をかたちづくる。たとえば、蝶ネクタイ、ショッピング・バッグ、ボトルの王冠、造花、ウイッグ、クリスマス・ガーランドなどがいくつも繋ぎ合わされ、それらがドレスやジャケット、ネックレスなどに変容する。あるいは、ヴィンテージのバッグを黒いマスキング・テープで被い、それを新しいバッグとして再生する。こうしたマルジェラのアプローチは、彼の衣服に対するオマージュがその背景になっているらしいけれど、僕はこれをマルタン・マルジェラの洒落、遊び心の結晶として眺めた。既成品の破壊とその再構築。こうした型破りなコレクションをコレクションとしてつくる方もつくる方なのだが、それを受け入れる側も受け入れる側で、その、つくり手と受け手の呼応、響き合いがこの「ゼロ」を成り立たせているのだと思う。

「0」を成立させる社会とはいったいどのような社会なのだろうか。などと、想いをめぐらせながら、展示されつつ売却処分中のこれら「0」を眺めて、その後、表参道を歩き、空を見あげた。
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2009年05月17日

「無意識の不安」 記憶の闇、その視覚化と癒し

塩田千春 『無意識の不安』 (椿会展2009 Trans-Figurative / 資生堂ギャラリー)

shiota_trans_figurative01.jpgギャラリーの奥、黒の毛糸が張り巡らされた一角があり、それが塩田千春の作品であるとすぐにわかる。そしてその張り巡らされた黒い糸の向こう側には、古いミシンと椅子が据えられているのがみえる。記憶の闇。彼女の作品には、無意識の奥底に眠る記憶の断片が投射されているのだと思う。その記憶は暗いものばかりに感じられるけれど、しかし不思議とその作品から陰惨な印象を受けることはない。むしろ、黒い癒し系というか、彼女の作品と向かい合うとなにか安心するというか、どこかほっとするなにかが感じられる。扱われるモチーフは、今回のミシンのほかには服、ピアノ、靴などがあり、それらはおそらく極私的な経験にもとづくオブジェクトだと思うけれど、同時にある種の普遍性を感じとることもできる。その、極私的な領域を外に開いていく力が彼女の作品には溢れている。今後も、彼女の作品は欠かさず観ていきたい。
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2009年05月16日

「ANTWERP FASHION 6+」 記憶、壁の崩壊、モードの夢

『ANTWERP FASHION 6+ | アントワープファッション展』

(東京オペラシティアートギャラリー)

ここでいう「6」とは、アントワープ出身のデザイナー、ダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ヴァン・サーヌ、マリナ・イーの6人を指す。「+」はマルタン・マルジェラと、その後にデビューを果たしたアントワープの次世代デザイナーたち。彼ら王立美術アカデミー出身のデザイナーたちを中心に、当時の作品、ショー映像、イメージフォト、メディア記事などを通して、アントワープ・デザインが当時のモード界に与えた衝撃、その後の軌跡が顧みられている。

antwerp_fashion_6+.jpgとても懐かしく感じられた。たしか、僕とアントワープ・デザインの出会いはドリス・ヴァン・ノッテンのショーだったと思う。といっても、それは自宅のTVで観たのだけれど、あれはたぶんパリで行われた彼の最初のプレゼンテーションで、こじんまりとした一軒家(二層)の中を、モデルたちが、微笑みあったり手をつないだりしながらゆるゆる歩き回るとてもユニークな形態のショーであった。服の色は、生成りや白などのナチュラルなトーン。モデルは男の子も女の子もいて、彼らのまとう服のゆるみ、浮かべる笑み、つながれた手の温かみが折り重なりながら、心地のよいなごやかな空気をその場に醸していた。それは80年代に主流であった構築的で攻撃的ともいえる造形、たとえばティエリー・ミュグレーやクロード・モンタナなどとは明らかに異なるスタイルで、僕はその過激な穏やかさの中に新しい時代の到来を見出し、すっかり魅了されたのだった。

この回顧展でそのショー映像を観ることはできなかったけれど、かわりにマルタン・マルジェラのショー、パリ郊外にある貧民区のガレージで行われた彼のパリ・デビューコレクションの映像を観ることができた。そこでは、現地に住むアフリカ系の子供たちがはしゃぎまわる中、服のような、あるいは服ではないような得体の知れない生地を身にまとったモデルたちが闊歩していた。また、この映像の脇には当時の取材記事(Details, March 1990)の引用が据えられていて、その文章を読み当時のことを思い出してさらに熱くなった。

『今から考えれば、場所の選択―移民の住む荒れ果てたパリのゲットー―と脱構築主義者であるマルジェラのデザインにおける衝撃は、東欧の政治的、社会的秩序の崩壊と共鳴しているかのようだった。10月のあの夜、崩れかけた壁に腰をかけていたショーの目撃者たちは、11月に崩壊する「壁」の上で踊る歓喜に満ちたベルリン市民を不気味にも先取りしていたといえよう』(カタログp.120)

90年代初頭に湧き起こったアントワープ・ファッションの衝撃。その影響は計り知れず、いま振り返ると、これら「6+」のデザイナーたちが生み出すグルーヴが、僕の人生の一部を狂わせたということもできる。ただ、ラフ・シモンズが企業と契約して素顔をさらしたり、マルジェラが第一線から事実上退いたことからもわかるように、いまやアントワープ・ファッションは成熟し、洗練され、その力は細っているようにみえる。ユニクロ、H&M、ZARAなどの台頭に代表されるファッションの均質化、平板化の波に流されず、特異点として踏みとどまる新しいデザインは可能なのか。夜、寝る前になんとなく本展のカタログをめくり、高揚し、寝つけない夜が頻発。
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2009年01月07日

「バイバイ ポラロイド」 photo, cinema, life...

森山大道 『バイバイ ポラロイド』 (タカ・イシイギャラリー)

昨夏、ポラロイド社はインスタントフィルムの生産を終えた。バイバイ、ポラロイド。

bye-bye-polaroid00.jpgギャラリーの壁に、森山大道によるポラロイド写真が横一列に並べられている。その高さは1メートル20〜30センチくらい。僕はやや腰を曲げ、少しずつ横にずれながら、隙間なく並ぶその写真群を眺めた。よく思い出せないが、たぶん、20〜30分くらいで鑑賞できたと思う。

さすがだなあと思ったのは、いわゆる即席プリントであるにもかかわらず、それぞれの写真がとても森山大道らしく仕上げられているという当然といえば極々当然なところで、しかしよくよく考えてみると、作家の手の届かないところでプリントされるポラロイド写真が作家の掌中にどうしてあれほど見事に収まるのか、職人の技とはなんとも摩訶不思議なものだとつくづく思う。さらに、それぞれの写真には、路地裏、擦れた広告、看板、窓ガラスやショーウィンドウの向こう側、空に走る電線、雲、唇、花、そしてユーモラスでありながらどこか哀しげにみえる自画像など、彼の世界が凝縮して詰め込まれている。その即席写真が、ギャラリーの壁(六面ほどだったか)にずらりと並べられているのだ。それは写真でありながら、映画であり、ライフであった。

ギャラリーの帰り、一緒に観たデザイナー(の卵・26歳・♂)といろいろ話しをしていたら、ライフですね、と珍しくいいことを言った。で、愉快になり、その後、わざわざ会社の最寄り駅まで立ちもどって、例の一軒家にあがりこみ、飲んで、食らった。ゆるりとしたいい夜だった。奢るかわりに、やつの「ライフ」という言葉をこっそり盗みとってやった。
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2008年12月31日

「マシュー・バーニー:拘束ナシ」 創造的跳躍と負荷の関係

アリソン・チャーニック監督 『マシュー・バーニー:拘束ナシ』 (ライズX)

原題:『MATTHEW BARNEY : NO RESTRAINT』

映画『拘束のドローイング9』(過去記事)の舞台裏。及び、マシュー・バーニーのプロファイル。

no_restraint00.jpg「拘束」とは創造に不可欠な抵抗力であるというマシュー・バーニーの思考は、かつてアスリートであった彼自身の経験に基づいている。負荷をかけたトレーニングにより筋力や技術力が向上するように、拘束に対する反発によって芸術的創造性が増すというのだ。本作を通して、そうした彼の創造に対する基本姿勢を再認識することができ、とても興味深く感じた。実際、デビュー当時の作品からこれまで、彼は一貫して自分の身体を拘束させつつ、その負荷に反発するように自身の作品を創作し続けている。あるいは、その創作行為自体を映像に収め、その過程を作品化しているのだ。

しかし面白いのは、これまで彼が創作した作品群と、彼のいわゆる「体育会系」的な創造のアプローチの間に距離、あるいはある種の断絶があるところで、実際、彼が創作するオブジェクトや『拘束のドローイング9』のような映像作品から彼の創作姿勢を見通すことは困難だと思える。この距離、あるいは断絶を生み出すためにはある種の創造的跳躍が必要になるのだと思うけれども、その跳躍に一役買っているのがワセリンで、しかしこのワセリンがなぜ彼の創作の中で重要な媒介役を果たしているのか、その理由は謎に包まれている。とにかく、彼は子供のころから好んでこのワセリンをつかって創作をしていて、実際、彼はデビューの際にもこのワセリンをつかったオブジェクトを発表しているのだ(ワセリン製のダンベルというオブジェクトの中に彼のすべてが凝縮されているのかもしれない)。

とにかく、分析的にマシュー・バーニーの創作背景を眺めてみても答えを見い出すことは不可能なのだ。今ここでいえることは、そこには創造的跳躍があるということと、その跳躍力が観る者の心を揺さぶるという事実である。もし、その跳躍力が強い負荷を乗り越えることによって得られているのだとしたら、私がこの世で最も嫌悪する負荷(ストレス)もまんざらではないと認めざるをえない。つまり、発想の転換である。負荷と創造の関係を見つめ直し、応用して、自分の将来に役立てることができればと思う。
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2008年08月30日

Uffizi - Pompidou

先月末、仕事の合間にウフィツィ、ポンピドゥを回った。ここにそれぞれの印象を記録しておく。

botticelli_primavera.jpg

ウフィツィ美術館

『常設展』

午前のやや早めの時間に予約をとり、ダンテの生家で時間を潰してから入館。それからどのくらい時間がたっただろう。携帯がとつぜん鳴り、あわあわと我にかえってそれから急ぎ足で館内を回り、館を出たら昼過ぎ。それでも二時間以上は中にいたと思う。

当時の記憶はすでにあやふやになっている。ただ、印象として残っているのは、神と人間の関係というか距離が時代の移り変わりに沿って変化していくところで、それが聖母マリアやキリストの着衣や表情、振る舞いなどに表されていて、そこに興味を惹かれた。絵画の中に、人間的なものと霊的なものが様々なかたちで入り混じっている。それから東京で観たヴィーナスと再会したりと、ダンテの生家も含め、時空を超えて旅をする感覚がありそれもよかった。

*****

pollock_the_deep.jpg

ポンピドゥ・センター

『MUSEE NATIONAL D'ART MODERNE(常設展)』

常設展は二層。下層は比較的新しい作品が中心で、上層にはピカソやブラック、マティス、ポロックなど、20世紀を代表する画家たちの作品が展示されている。とくに興味深く感じたのは下層で、ここに展示されている若い世代の作家たちによる作品の多くが、目に見えるものと見えないものの狭間にある中間領域やそこに存在する何か、を題材として扱っていて、しかもそれらは不安や恐怖感を煽るというわけでもなく、むしろ遊び心も含めてもっと前向きというか未来的であるような印象を受け、共鳴した。あと、アジアの若い作家、とくに中国出身の作家による作品が目立っていたような。かの国の勢いを感じた。

***

『TRACES DU SACRE'』

日本語にすると、『聖なるものの痕跡』展とでもいうのだろうか。ここでは神や、人間の抱えるエロティシズム、タナトスといった心の闇の部分を扱う作品群が展示されていて、この企画展がパリの中心で大々的に開かれている、という状況に関心を持った。会場内は迷路のような構造になっていて、照明も暗めに設定してあり、この雰囲気づくりも演出としてよいなあと感じた。がしかし、誤って途中で会場を出てしまい、時間がないせいもあってそのままあきらめ会場を後にしたことが悔やまれる。もっと奥の方の展示室に隠されていた作品にはいったいなにが描かれていたのだろうか。妄想が膨らむ。

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ポンピドゥでのその他

『TATIANA TROUVE' - PRIX MARCEL DUCHAMP 2007』
『DOMINIQUE PERRAULT - ARCHITECTURE』
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2008年08月14日

「エミリー・ウングワレー展」 夢の時間 −彼女は歌い踊る

『エミリー・ウングワレー −アボリジニが生んだ天才画家−』 (国立新美術館)

彼女は歌い、踊るように絵画を描く。その行為は視覚的な祈りともいわれる。

emily_kame_kngwarreye10.jpg

エミリー・ウングワレー(Emily Kame Kngwarreye)はオーストラリアの先住民アボリジニの血を引く女性で、70歳代後半と高齢になってからアボリジニの伝統をカンヴァス上に視覚化してみせるようになった。そして亡くなるまでの約8年の間に3,000点あまりの作品を残す。

彼女のユニークな創作活動の中でとくに興味深いのは、その創造の拠点であるアトリエが彼女の生まれ故郷であるアルハルクラ(この集落を含むオーストラリア中部の砂漠地帯をユートピアと呼ぶ)の大地そのものであること。彼女は、木陰などの心地よい地面に直接カンヴァスを置き、その側にあぐらをかきながら絵筆を振るったそうだ。だから彼女の作品には決まった天地がない。そのため、展示をする際にはその判断をキュレーターに委ねたという。こうした創作姿勢はとても素朴なものだと思えるけれど、と同時に、大地の上にカンヴァスを重ねる、という行為は彼女にとってかけがえのない大切な要素だったのではないか、と考えることもできる。実際、彼女は主にアルハルクラの大地やそこに根づくヤムイモなどをそのカンヴァス上に描いている。彼女の創作はとても土着的であるのだ。しかし、土着的であり、しかも砂漠地帯に暮らすアポリジニという特殊な生活環境を背景としながら、彼女の作品が持つ抽象性は彼女の暮らしとは無縁であるはずの西欧社会から高い評価を受けている。これはとても興味深い現象だと思う。

彼女の作品はアルハルクラの大地と強く結びついている。がしかし、そのアルハルクラと無縁であるはずの西欧人や私が彼女の絵画に強く惹かれてしまうのはいったいなぜなのだろう。きっとそれは、その抽象絵画が持つ普遍性がアポリジニの「ドリームタイム」に裏打ちされているからではないだろうか。

「ものごとの本質を知る」と私たちならば言うところを、オーストラリア・アポリジニは「ドリームタイムをとおしてものごとを見る」と言うでしょう。現実というのは、ものごとや出来事が生起してくるダイナミックなプロセスのことなのだから、まわりの世界を「見る」ときにも、そこに心の内的体験と物質でできた現実世界とが一体になって動き、変化していくドリームタイムを「見る」ことのできる意識状態が必要だと、彼らは考えます。
<中沢新一著『神の発明』(過去記事)p.70>


すべての生命の輪郭が大いなる自然の中で溶けて曖昧になり、色とりどりにきらきらとした光の粒子の集合体と化す。というオルセー美術館(過去記事)に期待したイメージを、オルセーではなく、この展覧会の中に見出すことができた、というのはとても面白い経験だった。アボリジニの世界では、天上界(神、太陽の世界)と人間界、自然界といった階層がない。さらにドリームタイム的な世界観の中では、過去や現在、未来といった区別すら消え去ってしまう。そうした神話的価値観には普遍性があり、洋の東西を問わずに受け入れられる可能性がある、ということをこの企画展を通して知ることができた。
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2008年07月19日

「森山大道レトロスペクティヴ」 諸行無常

『森山大道レトロスペクティヴ 1965-2005』 (東京都写真美術館)

森山大道の回顧展。展示作品数は200を超える。

daido_retrospective.jpg1960年代から現在に至る森山大道の活動の軌跡をたどり、彼の写真というか、表現に対する誠実さを実感することができて、なによりそれがよかった。救われる思いだった。約半世紀におよぶ年月の中で、挑発したり離別したり、それから蘇生したり乗り越えたりと、彼にもいろいろあったのである。

しかしそれでも森山大道は、写真は現実世界を複写する媒体に過ぎないのだという。けれど、その複写機に過ぎないはずのカメラを携え、彼は現実世界から少し浮いたところ、あるいは沈んだところに漂うある種の中間領域を見事に捉え、視覚化することに成功しているようにみえる。それは、「アレ、ブレ、ボケ」と形容される意図的に現実を歪めた独特のスタイルの中だけではなく、TV映像や広告ポスターをそのまま撮影した作品群からも同様に感じとることができる。だから彼の写真は一貫して、濃密でありながら儚いのだ。光と闇が明確に隔てられるのではなく、曖昧模糊と入り交じっている。すべてが無常だと感じる。

言語を超える表現媒体としての写真。森山大道は、約半世紀に渡って言葉を挑発し続け、そしてまた、言語では到達しえない領域に踏み入りそれを視覚化しようと努めた。その試みがどのくらい成功しているのか、評価することなど不能なのだけれど、ただ、単純にすごいなあと思う。なぜか救われる思いがする。
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2008年06月02日

「ウルビーノのヴィーナス展」 大地と結びつく愛と美のイメージ

『ウルビーノのヴィーナス展』 (国立西洋美術館)

venus_of_urbino04.jpgこの『ウルビーノのヴィーナス展』では、古代からルネサンス、バロック初期に至るまでの間に西欧で描かれた様々なヴィーナスの姿が展示されている。その中心に据えられているのは、日本初上陸といわれるティツィアーノの絵画『ウルビーノのヴィーナス』である。ヴェネツィアで描かれたこのヴィーナス像は、比較的つつましやかなフィレンツェのヴィーナスとは異なり、世俗の中にその豊かな裸体をさらしながら艶やかな視線を観る者に投げかけている。この挑発的ともいえるヴィーナスの姿態から溢れ出る官能性は、のちの画家たちに多大な影響を与えたという。

西欧のヴィーナスといえば、これは古代のものなのだけれど、ヴィレンドルフのヴィーナス像(過去記事)のことが思い起こされる。しかし、本展でさかのぼるのは古代ギリシャ時代まで。そこではギリシャ神話に現われる女神アフロディテとその子供エロス、そしてアフロディテと恋に堕ちるアドニスをめぐる物語が描かれている。また、そのアフロディテがローマに渡ってヴィーナスとなり、その子供はキューピッドと名前を変え、しかし恋人はやはりアドニスで、ここでもこれらの神々はギリシャ神話とそっくりな物語を紡いでいる。

時代や地域の変化とともにヴィーナスの在り方、描かれ方が変わっていく。本展を通して、その変化の様子を大まかになぞることができた。そしてその中で、美と愛と豊穣などのイメージが重ねられるヴィーナス(アフロディテ)とキューピッド(エロス)はどのような関係にあるのか、東洋ではヴィーナスに対応する神的なイメージは存在するのか、ひょっとするとこれらのヴィーナス像は世俗による女神の拘束を表現しているにすぎないのかもしれない、などといういろいろな疑問が膨らんでいった。

ところで、西欧化が進んだといわれるこの社会におけるヴィーナス的な女性像とはいったいどのような姿かたちをしているのだろう。
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2008年05月31日

「バウハウス・デッサウ展」 近代における造形活動の行く末

『バウハウス・デッサウ展』 (東京藝術大学大学美術館)

bauhaus03.jpg『バウハウス・デッサウ展』のことを知って、そのときに思い起こしたのは、あれは何年前だったか、空前のブームの絶頂の中で開かれた『イームズ・デザイン展』に足を運んだときの記憶だった。あのとき、会場まで続く行列の中で、これはいわゆるミッドセンチュリー・デザインの葬式みたいなもので、この儀礼を通じていよいよ20世紀にけじめがつけられるのではないか、と感じた。

有機的曲線から無機的直線への移行。不確実性を孕む自然界への抑圧。バウハウスは大きな自己矛盾を抱えたまま活動を続け、そのため繰り返し内部衝突を起こさねばならなくなり、そうして軌道修正を重ねるうちに存在意義そのものを見失ってしまい、消滅するに至ったのではないか。というのが、この展覧会を眺めることで受けたバウハウスの印象である。

『バウハウスほど工業社会の危機的状況のなか、「造形」という手段で近代化の過程を制御できるのか疑問を持った研究所は、ほかにほとんどなかったためです。1919年にヴァイマールで設立されたバウハウスの親方と学生たちは、芸術と製造の訓練をあらゆる芸術的創造の基礎として手工業へたち戻ることを良しとし、模範的な造形化を通して、対象と空間を来るべき人間社会のために創造するという目的を抱きます。』(本展ウェブサイト)

大量生産、大量消費。バウハウスは当初、近代化が推し進められる産業の在り方に危機を感じ、造形の力をもってその波に抗おうとしたのだろうけれど、そのアプローチそのものが近代の文脈をなぞるものにすぎなかったため最後まで自己矛盾を抱えなければならなくなる。その末、バウハウスは大量工業生産路線を選びとり、さらにその後、ナチスの命により解散を余儀なくされる。建築の分野に限らず、造形にたずさわる人たちは、バウハウスの遺産に目を奪われるだけではなく、バウハウスの限界について、バウハウスが自滅に向かった原因についても考えをめぐらす必要があるだろう。

とはいえ、予想以上に充実した展覧会だった。主軸である建築や家具に限らず、生徒たちによる抽象絵画や写真などが網羅されていて、それがよかった。あと、バウハウスでカンディンスキーが教鞭をとっていたことを知り、驚く。バウハウスとカンディンスキー。東京国立近代美術館で『カンディンスキー展』が開かれたのは何年前だったか。とても面白く観たおぼえがあるのだけれど、なにを面白く感じたのか、先ほどからずっとその記憶をたどっているけれどもいまだにその印象を思い出せずにいる。


追記:イームズ・デザイン展は2001年、カンディンスキー展は2002年に開催。
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2008年05月21日

「椿会展 2008」 黒い闇の中の記憶

『椿会展2008 Trans-Figurative』 (資生堂ギャラリー)

資生堂ギャラリーによるグループ展。

shiota_chiharu_trauma.jpg第六次椿会のメンバーに塩田千春の名前をみつけたので、仕事の合間に資生堂ギャラリーに立ち寄った。

エントランスで簡単な案内を受けとりギャラリー内に入ると、すぐ目の前に塩田千春の作品群が展示されている。『Trauma / 日常』と題されたその作品群は、直方体の枠が天井から4、5点つるされているだけの比較的小規模なインスタレーションで、それらの枠組みの中にはやはり無数の黒い糸が縦横に張りめぐらされており、さらにその黒い小世界の内部に衣服(子供用?のドレスだったと思う)、手鏡、天秤、小型のスーツケースなどのオブジェクトががんじがらめにされている。すぐ目の前にあるはずのものがとても遠くに感じられる。あるいは、果てしなく遠くにあるはずのものがすぐ目の前に曝されている、と捉えることもできる。

ところで、このインスタレーションはいったい何を意味しているのだろう。といっても、そこに意味があるのかどうかさえ定かではないし、たぶん言語に置き換え可能な意味などないといってもいいのかもしれない。けれど『Trauma / 日常』というタイトルが示しているように、これらはおそらく作者の子供のころの記憶となにかしらの結びつきがあって、しかもその記憶は、普段、彼女の心の深部によこたわる黒い闇の中に沈んでいる。この作品群は、心の闇の中に隠されていて普段は目にすることができないはずのもの、しかし人間の意識になにかしらの影響を与え続けるであろうもの、にかたちを与え、顕在化させているのではないかと思う。

塩田千春の作品はこのグループ展の中で図抜けて力強いと感じた。というか、恐い力に満ちていてなぜかしらそこに惹きつけられてしまう。
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2008年05月11日

「イヨマンテ」 神の化身、熊の命と向き合う

姫田忠義監督 『イヨマンテ ― 熊おくり』 (下高井戸シネマ)

1977年、イヨマンテの儀礼が約10年振りに執り行なわれた。この作品は、その儀礼の様子を収めたドキュメンタリー・フィルムである。当時、イヨマンテの儀礼は、北海道知事による通達により禁止されており、又、アイヌの人たちは、1899年に施行された北海道旧土人保護法による「保護」下にあった。こうした背景により、本作の撮影は極めて厳しい状況下で進められる。

アイヌの人々は、イヨマンテの儀礼を盛大に執り行なうことによって、熊の姿を借り、毛皮、肉、薬を人間界にもたらしてくれる神に対して感謝の気持ちを表わす。狩猟民が神の世界に捧げるこうした儀礼については、これまでいくつかの書籍を通して触れる機会があったのだけれど、やはり文字媒体と映像では得られる印象に多少の違いがあって、今回、本作を鑑賞することで熊おくりの儀礼について自分なりの理解を進めることができた。

この作品を鑑賞してみて印象に残ったのは、儀礼にかける期間の長さ(準備を含めると約10日間)と仔熊を矢で射る行為の位置づけである。思い返すと、鑑賞前にわたしの意識の中心にあったのは、縄で繋がれ矢を浴びる仔熊の姿だったと思う。しかし実際には、熊を殺す行為そのものはそれほど大きく位置づけられてはいない。という根拠は、いよいよ矢が放たれて熊が絶命する、という場面を少しあっけなく感じたわたしの意識にある。その時、やや拍子抜けしながら感じたのは、アイヌの行為そのものよりもわたしの意識の方がよほど残酷なのだろう、ということ。わたしは意識のどこかで、血まみれになって悶え苦しむ熊の姿を求めていたのかもしれない。しかし実際は違った。熊を射る行為そのものよりも、この儀礼で重要なのはその前後なのだと思う。実際、アイヌの人々は、熊を射るため、その肉体を祀るための道具作りや土産づくりに約1週間の期間をかけ、命を落とした熊の亡骸を捌き、その魂に土産を渡して自然界に送り返すまでにさらに数日をかけるのだ。しかも、これらの行為ひとつひとつに細やかな作法がある。村人が総出で約10日間、熊一頭の命に向き合っている。さらに、その熊は長い月日をかけて大切に育てられてきたのだ。その熊に餌を与え、育ててきた人たちにはある種の情が生まれている。熊は、神の化身であるがゆえに大切に育てられ、そのうえでおのれの肉体を人間界に与え、楽しい宴を見物して、心の籠もった土産を受け取り自然界へと帰っていくのだ。熊の肉体を通した神と人間の交歓の様子を本作はとても丁寧に追っていると思う。

この国では、毎年、数千頭の熊が殺処分されるという。この現状は、社会を維持するために数千の熊の命を奪う必要がある、という事実を意味している。けれど、わたしはこの事実にあまりに無頓着である。なぜ、わたしは失われる命に対してこれほど無頓着でいられるのだろう。
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