2008年04月19日

「オルセー美術館」 太陽の光、揺らぐ個の輪郭

オルセー美術館 「常設展」

3月某日。晴れ時々みぞれ混じりのにわか雨と強風。

musee_dorsay000.jpg二度目のオルセーは実に16年ぶり。いまの自分の目に印象派の絵画はどのように映るだろう。と、先の出張の最終日に時間をつくり、2時間半ほど見学することができた。

日の光を浴びた衣服や肌はきらきらと輝き、そこからはじけでる光の粒子が身体の輪郭を曖昧にして、その存在を解体しながら自然の中へと溶かしてゆく。と、鑑賞前から脳裏に勝手なイメージを抱きながら館内を歩いた。

しかしそうして作品群を眺めながら感じたのは、これらの作品はむしろ、個人という得体の知れない存在が自然の中から浮き出てくる光景を描いたものではないか、という先入観とは真逆の印象で、しかしその印象もぼんやりとした瞬間的な思いつきでしかなく、そのどちらだとしてもきっと大きな違いはないのだろうと思い直した。ただ、そこにはやはり自然と個人との関係があるのだとは思う。加速する近代化の波であるとか、あるいは東洋的な世界観の発見であるとか、急速な硬質化、及び拡大を進める世界の中で、人間の在り方は揺らぎ、その揺らぐ身体を当時の画家たちは見つめ直していたのだと思う。だから自画像が多く残されていたりもするのだろう。などと想いをめぐらせながら美術館を出て、セーヌを渡る。雨はすでに上がっており、しかし空はまだ暗い雲に覆われていて、空気は重く冷たく、川向こうにみえる街は、不吉な影の中に浮かぶようであり、あるいは沈み込むようでもあった。
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2008年02月09日

「SPACE FOR YOUR FUTURE」 わくわくする未来に向けて

『SPACE FOR YOUR FUTURE 〜 アートとデザインの遺伝子を組み替える』 
(東京都現代美術館)

ここでいう「SPACE」は単に物理的な空間を指すのではなく、人間が創造するイメージや、その内部と外部をつなぐ関係などをも含めた有機的な空間を意味している。

space_for_your_future.jpgまず会場の賑やかな雰囲気に気分が高められる。それぞれの展示室内には様々な領域で活動するデザイナー、アーティストたちの作品が並べられており、しかもそれらの作品群は展示空間に整然と収められるのではなく、それぞれに自己主張しながらも互いの境界を曖昧にしつつやや雑然とした印象を与えるよう配置されていて、その少し雑多に感じられる展示方法がこのわくわく感、人間の心を自由に躍らせるための空間づくりを支えているように感じられた。しかも展示されている作品は受動的に眺めるだけではなく、実際に座ったり、身につけたり、中に入ったり、聴いたり、踊ったり、靴を脱いでまったりできたりするのである。また、概念を提示するだけではなく、その新たな空間の在り方を鑑賞者の身体そのものに直接的に訴えかけようとするこの試みは、楽しさ、わくわく感といった娯楽性と同時に観る者に不思議な懐かしさをも抱かせるのである。とくにぼくは、avafのインスタレーションに遭遇したときなど、子供のころ、廃屋や廃業した工場の跡地などを探検し、そこに秘密基地をつくったことなどを思い起こした。そういえば、あの頃のあの街にはそこここに空き地があった。

アートとデザインの垣根を越えるだけではなく、作品と作品、表現者と鑑賞者の垣根をも取り払おうとしたこの自由空間に身を置くことによって、無数の境界線がはりめぐらされた日常から自分の心を少しだけ解放することができたような気がする。本展に参加した人は、多かれ少なかれこのような気分を体感できたのではないだろうか。そうして少しだけ軽くなった心をもって、この世界を眺め直し、創造的空間が人間の心に与える影響について見つめ直すことができればと思う。侵入できる空き地が失われつつあるこの世界に、別のかたちで余白をつくることはとても大事なことであるなあと思った。

*****

購入物:カタログ『SPACE FOR YOUR FUTURE』

券売カウンター前には行列ができていて、入場券を買うのに並ばなければならなかった。これもNHK効果か?
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2008年01月15日

図版の一部

『エロティシズム』(過去記事)に掲載されている図版の一部を貼りつけておく。

bataille_matthias_grunewald.jpg
グリューネヴァルト 『十字架のキリスト』

bataille_codex_vaticanus_3738_54.jpg
人間の供犠 メキシコ (スペイン占領初期)

bataille_hans_baldung_grien.jpg
ハンス・バルドゥング・グリーン 『開かれた墓の前で死神が裸女に接吻する』

bataille_niklaus_manuel_deutsch.jpg
二クラウス・マヌエル・ドイッチュ 『傭兵姿の死神が若い女に接吻する』

bataille_gian_lorenzo_bernini.jpg
ベルニーニ 『聖テレジアの恍惚』

『私は天使が長い黄金の槍を手に持っているのを見た。その槍の先端には火の切先が光っているように見えた。私には、天使がその槍を何度も私の心臓に突き刺し、私の内臓にまで突き通しているように見えた。そして天使は、槍を引き抜くと、私の内臓もいっしょに引き出して、私の全身を神の大きな愛の火で包んでいるように見えた。その苦痛はあまりに激しかったので、私は呻き声をあげてしまったが、しかしこの過度の痛みは甘美であって、私はこの痛みから解かれたいとは思わなかった。』(p382〜「自伝」第二九章第一三節より引用)

*****

ヴードゥーの祭儀の画像は、適当なものをみつけることができなかった。頭から雄鶏の血を浴びている男の姿などはとても野蛮にみえるのだけれど、あれは、人間が自身の内に潜む野蛮と向き合うために必要だと見做されていたのだろう。そう考えると理にかなっている。ただ、ここでいう「理」は通常の理の意味を大きく逸脱している。
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2007年12月29日

「クマグスの森」 異脳の痕跡をたどる

『クマグスの森 南方熊楠の見た夢』 (ワタリウム美術館)

1867年4月、南方熊楠は紀伊に生まれる。1884年、彼は渡米し、放浪を始め、英国にたどり着き、その後、熊野の森に還る。1941年没。

kumagusu00.jpgこの企画展では、南方熊楠という異能の人物の痕跡を実際に目にすることができる。例えば、彼が十代の頃につくった動物学の教科書や、渡米の際、荷物を運ぶために使用した長持、持ち込んだ顕微鏡、そうして彼の地で収集した植物の標本、諸々のスクラップ、その後、熊野で収集した標本や膨大なきのこのスケッチ、自筆の独創的曼荼羅のイメージ、それに昭和天皇への贈り物を詰めたキャラメル箱など、熊楠の半生を辿るようにこれらの展示品が並べられていて、『森のバロック』(過去記事)を通して抱いた妄想的なイメージが実在する品々と断片的につながり、その連鎖によって熊楠のイメージをさらに深め、膨らませることができた。

遺品のほかにも、熊楠の脳をスキャンした画像とその解説を通して、彼が脳にある種の障害を持っていたことや、それを癲癇の発作を通して彼自身が自覚していたこと、その自覚によるある種の絶望が彼の放浪を後押ししていたこと、さらに、同じく脳に障害を持った彼の息子が若くして亡くなったことなどの極私的なエピソードも紹介されている。さらに、40歳まで童貞だった彼が若い頃は少年愛の傾向を持っていたことや、そうしたセクシャリティを抱える彼がイギリス滞在中にオスカー・ワイルドの同性愛裁判に遭遇し、そこで人間の性に関して想いをめぐらせたことなど、彼の思考の宇宙が科学の枠を大きく逸脱しながら果てしなく深まり、広がっていく様子を垣間見ることができて、言葉にすることのできない様々な刺激を受けた。

この企画展は来年2月3日まで開かれていて、チケットを一度購入すると何度でも入場することができる。機会があれば、また立ち寄ってみたい。
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2007年12月24日

キュレーターという仕事

プロフェッショナル 仕事の流儀
『アートは人を“自由”にする〜長谷川祐子』 (NHK総合)

hasegawa_yuko00.jpg今年の春、『マルレーネ・デュマス展』(過去記事)で購入した図録に長谷川祐子の名前を見つけた際、金沢で彼女がマシュー・バーニー(過去記事)の企画展を開いていたことや、芸術人類学研究所にも名前を連ねていたりすることを思い出し、脳内でいろいろと繋がるものを感じた。そしてさらに、高木正勝の発掘が決定的で、あの講演というか対談を聴いたときに、この人は解る人だなあ、と強く思い、それ以来、彼女の存在を意識し、注目するようになった。彼女は普段、なにをどう考え、どのような仕事をしているのだろう。

この番組は、キュレーターとしての長谷川祐子の過去と現在の仕事振りを追いながら、アートとは、キュレーターとは、そしてプロフェッショナルとは、といったテーマについて彼女自身が短くコメントをつける、という流れで構成されている。番組内で流れた彼女の過去を簡単になぞるだけでも、現代美術という難しい仕事に携わる彼女の苦労が垣間見えて、面白い。とくに現代美術の場合、作り手(アーティスト)もその才能も作品も生きていて、だから不確実な要素が多い分、展覧会をかたちあるものにするために多大なエネルギーが必要とされるのだろう。しかしそれでも仕事を通した生みの悦びのようなものがあって、その感覚が、ストレスの多い仕事に携わる彼女を支え続けているのではないだろうか。イスタンブール・ビエンナーレで企画された橋をつかったインスタレーションの映像を眺めていて、そんなことを思った。

ぼく自身、ひとりの職業人として感じ入ったりすることも多かったのだけれど、ぼくと彼女では関わる仕事の性質が大きく違う。最大の相違点は、彼女は「与える」仕事をしていて、ぼくは「奪う」仕事をしているという現実である。この殺伐とした仕事環境の中で、いかに悦びを感じ、与えられるか、という問題についてもっと考え、取り組む必要がある。

*****

番組再放送予定:
12月26日(水)17:15〜 (BS2)

開催中の企画展:
『SPACE FOR YOUR FUTURE ― アートとデザインの遺伝子を組み替える』

この展覧会は年明けに観ようと思っている。
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2007年11月12日

「沈黙から」 張りめぐらされた境界線とわたし

shiota_chiharu00.jpg

塩田千春 『沈黙から』 (神奈川県民ホール)

展示室内には黒い糸が張りめぐらされていたり、壊れかけた白い無数の窓が組み上げられたりしていて、その内部に足を踏み入れると、ある種の巣というか繭のようなものの中に侵入していくような感覚を覚える。そして、その不気味な空間がこの世界と確かに地続きであることを思い知らされる。これらの作品群は、この世界に充満している目には見えない不安感のようなものを視覚化しているのだと思う。それは例えば、幾重にも張られた黒い糸によって隔絶されたライトの灯りやピアノを眺めるときに際立って感じられる。わたしがわたしであることの不安。だからわたしは、誰もいない部屋の中に籠もり、ベッドの上でまどろむ。そうしてわたしのからだは砂となって、風に吹かれ、この世から消え去るのだ。

塩田千春のインスタレーションはどちらかというと不気味な姿かたちをしているのに、その中に身を置いていると、不安というよりも、むしろ心の落ち着きを覚えてしまう。これはとても不思議な感覚なのだけれど、それはたぶん、彼女の作品群が、日常の中では隠されているこの世界の闇の部分にかたちを与え、顕在化させているからだと思う。視覚を通してその闇のある部分を確認することによって、この世界の誰もが潜在的に抱えているのであろう不安や重圧のようなものが和らげられるのではないだろうか。隠蔽や粉飾はこの世界の根幹であるのだけれど、芸術家は、その隠された秘密の部分を暴き、この世の住人の目の前にそれを晒そうとする。という意味で、とてもよい個展だった。
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2007年09月17日

「異次元への招待」 わたしはそこにたどり着けるのだろうか?

BS特集『リサ・ランドール 異次元への招待』 (BS)

lisa_randall1.jpgいま、リサ・ランドール博士の『ワープする宇宙』を読んでいるのだけれど、これがなかなか進まず、苦労している。数式をつかわず、比喩などの平易な表現で理論物理の諸々を説明しているというのは本当なのだけれど、とはいえ、相対性理論や量子力学など、近代の物理学を牽引してきた代表的な諸理論や、素粒子の細かな運動の様子(素粒子には様々な名前がつけられていて、それらは多様な振る舞いをみせる)など、本格的な物理学の内容を脳内でイメージしなければならず、当然のことながら、これがそう簡単にはいかないのだ。

そこで、混乱しつつある頭の中を整理しようと思い、録画していたこの番組を見てみたのだけれど、この内容が予想以上に薄くて、正直、期待はずれだった。先日の『理論物理学者 リサ・ランドール 〜異次元を語る〜』(過去記事)の二番煎じというか、実際、あの番組から使い回した映像もあったかと思うのだが、それにランドール博士の来日の様子を簡単になぞっただけで、茂木健一郎との対談もつまらないものだったし、肝心であるはずの高次元宇宙理論がなおざりにされているような印象を受けた。どちらかといえば、スター物理学者リサ・ランドール博士にスポットを当てる、みたいな演出だったと思う。

そもそもTVで頭の中を整理しようなんて考えが間違いだったのかもしれない。甘い考えは捨てて、通勤途中と昼休みという限られた時間の中で『ワープする宇宙』をこつこつと読み進めることにしよう。いま、仕事の山場を越えようとしている最中なので頭の中がごちゃごちゃとしがちではあるのだけれど、それなりの時間さえかければ異次元の入り口くらいまでは辿り着けるだろう。

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『インスピレーションを信じ
 開かれた心を持つこと
 勇気を持って楽しむこと』 (リサ・ランドール/番組より)
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2007年09月09日

Daido's Hawaii

daido_hawaii.jpg

森山大道 『ハワイ』 (タカ・イシイギャラリー)

南国らしいきらびやかな色彩が排された、モノクロームのハワイ。展示された作品群からは、太陽の眩しさよりもその強烈な光に寄り添う影の深さを、そしてその闇の世界から光を求めて身をよじる植物の艶かしさを強く感じとることができる。太陽と海が混ざり合う光と闇の楽園。そこでは打ち寄せる波でさえどこかエロティックで、死の香りを漂わせている。

このモノクロームのハワイに南国らしさが残されているとしたら、それは時間の消失にあるのかもしれない。どの写真も、時の流れが止まっているようにみえてしまうのだ。森山大道のハワイには、瞬間と永遠が同時に詰め込まれているような気がした。

書店ではあの分厚い写真集が平積みにされているけれど、ギャラリーに展示された大きなサイズの写真群を眺め直すことで、また違った迫力を感じとることができた。
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2007年09月08日

Fish and Flower

東信 『Fish and Flower』 (AMPG)

8月某日。

azuma_fish_and_flower.jpgこのインスタレーション(というか生け花?)の詳しいコンセプトは忘れてしまったのだけれど、水槽を泳ぐ魚が花に動きを与え、そこに生けられた花は魚に香りを与える、みたいなことだったと記憶している。
ここで印象に残ったのは水の中でゆらゆらと身をゆらしていた古代魚。名前はなんといっただろう、残念ながら思い出すことができない。ただ、名は無くてもこの魚はとても魅力的で、そのゆらゆらを眺めているだけで時間の流れを忘れてしまいそうだった。

ギャラリー内をひと回りし、入り口脇にしつらえられた書棚に7月の展示内容が記録された赤い冊子をみつけ、ぱらぱらと捲ると、ある頁に町田康の文章をみつけた。東信に向けた手紙のような内容で、唐突だけど、花って哀しいねえ、みたいな短い文章だった。その後、駅に向う途中、女の子に町田康の説明をしながら、久しぶりに彼の小説を読んでみたいなと思った。ロックから小説へ、ロックから花へ。
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2007年08月26日

「Skin + Bones」 そのシェルターが保護するものは何か?

『スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション』 (国立新美術館)

『Skin + Bones: Parallel Practices in Fashion and Architecture』

建築とファッションを繋ぐキーワードは「シェルター」。人間の身体の保護という役割を担う両者を並べ、その変遷をたどる。

skin_bones01.jpgたしかに、故・ジャンフランコ・フェレ(デビュー:78年)やロメオ・ジリ(デビュー:83年)など、学生時代に建築を学んだデザイナーが80年代初頭のファッション界に台頭して以降、建築とファッションの領域は互いに接近を続けているような気がする。その背景には、衣服販売のブランドビジネス化と、ITをはじめとする技術革新があるように思われる。現在、このふたつの領域を直接的に結びつけているのはブランド・イメージを象徴する大型直営店(銀座のエルメスやグッチ、青山のプラダなど)だと思うのだが、それ以外にも、この展覧会に紹介されていたような様々なかたちで両者は刺激し合っており、そしてこれからも互いの関係を更新し続けていくのだと思う。

展示品が予想以上に多い展覧会で、たいへん見応えがあり、言葉にはならない多くの刺激を受けることができた。ここのところ、目には見えないイメージを追うことが多かったのだけれど、この展覧会を通して、視覚化された作品に目を向けることの面白さを思い出すことができたような気がする。時代が進み、個人や共同体のあり様が複雑に変化するにつれて、抽象的なイメージを視覚化することにより個人や共同体のアイデンティティーを支えるという役割も担うこの両者は、ファッションにおいては「個」、建築でいえば「共同体」の領域において、これからも変化を続けるのだろうけれど、その過程において、それらは何を表わし、あるいは何を隠しながら、わたしたちの暮らしにどのような影響を与えていくのだろうか。
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2007年08月15日

「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」

『アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌』 (東京国立近代美術館)

『"De qui s'agit-il?" Retrospective de Henri Cartier-Bresson』

HCB.jpgアンリ・カルティエ=ブレッソンによる約350点の写真作品と、彼自身の姿を写したポートレイト(幼年期からのもの)、自筆の手紙、デッサン、過去に出版された写真集、展覧会ポスターなど、カルティエ=ブレッソンにちなんだ品々が数多く展示された大規模な展覧会だった。

出品された写真作品は、ヨーロッパ各国をはじめ、アメリカ、インド、中国、ソヴィエトなど、彼がかつて訪れた国ごとに整理されていて、当時、それぞれの国が醸していた空気をカルティエ=ブレッソン流の幾何学を通して感じとることができる。どの写真も、彼の眼前に現れた「決定的」時空を微分し、瞬時に二次元空間に焼き付けたとは思えないほど画が整っていて驚かされた。ただ、ぼくがこの国ごとに仕分けされた展示作品の中で最も興味深く眺めたのは、彼が二度にわたって訪れたメキシコを写しとった作品群だった。メキシコの情景、とくに娼婦たちの姿には艶かしさを超えた怖さというか生々しさがあって、その奥深いエネルギーを目の当たりにして彼の幾何学にどこか揺らぎが生じたのではないかと思えるほど、ほかの写真にはない異臭がそれらの作品から漂っていた。

*****

遅い時間に入館したため、カルティエ=ブレッソンに関する映像は少ししか観ることができなかった。あと、ここのところマルレーネ・デュマス(過去記事)や高木正勝(過去記事)に気持ちを揺さぶられているせいか、カルティエ=ブレッソンの写真がとても男性的に感じられた。
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2007年07月31日

「赤」に惹かれる女たち

東信 『Beyond red with insanity』 (AMPG)

職場の女の子と東信のプライベート・ギャラリー「AMPG」へ。彼女は彼のファンなのだそうだが、ひとりでギャラリーに入るのは恥ずかしいというので、ぼくが付き添うことになった。7月のある日、終業早々に会社を出て、地図を片手にそのギャラリーを探した。

azuma_red.jpg「狂った赤の向こう側」と題されたインスタレーション。ギャラリーの入口は半ば閉ざされ、そのシャッターをくぐって中に入ると、赤いライトに照らされた奇妙な空間が広がっていた。その床の上にはドラム缶や便器などが配置されており、そこには見たこともない花が無造作に生けられている。きつい照明のせいで、その花々が何色なのか分からなかったのだが、スタッフの方の話によると、それらの花もみな赤い色をしているのだそうだ。ぼくにはこのインスタレーションそのものよりも、とても熱心に東信の世界を語るスタッフの方たちや、彼が描く「赤」の世界に惹かれてひっきりなしに訪れる熱心なファンの女性たちの方が興味深く感じられた。

帰り際に、ギャラリー内で『Planted』という雑誌をみつけた。星野智幸の文章と東信の作品を組み合わせたコラボ企画が連載されているのだそうだ。その説明を受けたときに、思わず「おおっ」と声を出してしまった。そういえば、星野智幸の日記にそんなことが書いてあった気がする。思わぬところで彼と出くわしてしまった。

その後、彼女と移動し、もうひとりと合流して、食べて、飲んだ。ふたりとも今年の新入社員で、社内でぼくと最も親しい友人である。そのうちまた彼女とAMPGに足を運ぶことになりそうだ。
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