2015年03月20日

「イザイホウ−神の島・久高島の祭祀−」 村落共同体と神、祈り

izaiho.jpg

2015年2月12日(木)

『イザイホウ−神の島・久高島の祭祀−』
監督:野村岳也(海燕社)
場所:Uplink

沖縄島の南東5kmの海に浮かぶ孤島。久高島でかつて執り行われていた「イザイホウ」という神事のドキュメンタリー。

久高島は密な集落で、島に暮らす人々はみなこの島で生まれ、育ち、また集落内で結婚をして子を産み、育てる。成人した男は海に出て漁師となり、女たちは家事と農業に携る。このイザイホウは、海人である男性たちの無事を祈るために30歳から41歳の女性たちが巫女となるために執り行われる神事である。

板1枚の下は地獄。海人の言葉は重かった。一方、命がけで働く男たち対し、島の女性たちは寛容である。生きて家に帰れたらそれでいい。言葉にはされなかったけれど、乱暴にまとめるとそのくらいの覚悟が感じられた。イザイホウの神事は、4年に1度、ほぼ1カ月ほどの期間を費やして行われる。

宗教と個人の自由について、人間の命と魂の幸福などについてぼんやり思いをめぐらせながら儀式の様子を眺めた。
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2015年01月14日

『フタバから遠く離れて 第二部』 分断される共同体

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舩橋淳監督 『フタバから遠く離れて 第二部』 (ポレポレ東中野)

3.11以降、双葉町の住民たちは埼玉県加須市に避難、または福島県内の仮設住宅で暮らしている。加須市内の廃校内に設えられたプライバシーのない避難所の暮らしはやはり貧しいもので、そこに取り残された人々は互いに身を寄せ合いながら毎日をやり過ごしている。仮設住宅にしても、世帯ごとに仕切られてはいるけれど、そのつくりはあまりに簡素で、そこに住む人たちによると、隣人の生活音がほぼ筒抜けになり、さらに共同トイレの音もそのまま聞こえてしまうのだという。憲法25条にある権利をいつ行使すればいいか、女性たちは笑いながら語っていた。

一方、井戸川前町長の不信任決議による辞任、その後任となる伊澤新町長で進められる復興政策など、町民を巡る政治状況も変化をみせている。しかし当然のことながら、政治の力だけで町民の暮らしが元通りになるわけではない。それどころか、諸々の政治判断によって、避難所は閉鎖され、帰る先であるはずの双葉町には核廃棄物の大規模な中間貯蔵施設が建設されてしまうのだ。

双葉町民の避難の様子を通して見えてくるのは、事故の影響に、政治に翻弄され、分断される人々の姿だった。残念ながら、この三年で事態が復興に向かっているようには感じられない。むしろ共同体は崩壊に向かっているのではないか。そう思える場面もある。

やはり、あれは取り返しのつかない事故だったのだ。少なくとも、ぼくが生きている間に双葉町が元の状態に戻ることはないだろう。少なくとも今の時点で、町の復興のための力を政治や科学は持ち合わせてはいない。悲しいことに、この第二部は完結編ではなかった。この事態がいつ完結するのか、この世界の誰にも分かりはしないだろう。
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2008年09月01日

「崖の上のポニョ」 海の世界、陸の世界

宮崎駿監督 『崖の下のポニョ』 (TOHOシネマズ六本木ヒルズ)

ポニョはそうすけが好き。

ponyo02.jpgこの作品の魅力は海の世界の描写に尽きると思う。まずポニョがいて、その背景にはポニョの姉妹やほかの魚たち、あるいはそれ以外の様々な姿かたちをした海洋生物がいるのだけれど、彼らは、自分たちがポニョの背景であることなど気にする様子もなく、勝手気まま、海の世界を自由自在に泳ぎまわっている。その、ポニョをめぐるドラマと海の世界の気ままさのギャップがなぜか心地よかった。そのうえ、陸の描写がこころなしか平坦だったせいもあって、いつのまにか、陸から海へ舞台が切り替わったり、陸であるはずの場所が水に侵されてしまう場面を楽しんでいるわたしがいた。なのにポニョは、海の世界から抜け出て人間になろうとする。海と陸が、様々なかたちで入り乱れる。

友人夫婦に誘われ、土曜日の朝、子供づれで鑑賞した。ママズ・クラブ・シアターというやつである。だから、まわりもほとんどが子連れ。しかも乳幼児ばかり。なので、映画とリンクするように、子供たちはしばしばスクリーンから離れて遊んだり騒いだりしている。その騒ぎも含めた小さな無秩序がこの作品の印象として残っている。

ポニョと宗介の話がいつのまにか地球存続の危機と繋がったり、しかもその危機があっさり解決されてしまったりと、大人の視点でこの話の細部を追うと肩透かしを食らってしまう。だからこの作品は、こうして子供たちとわいわい観るのがいいし、きっとそのためにつくられたのだと思う。
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2008年08月23日

「ぐるりのこと。」 融和するこころ、蘇生

橋口亮輔監督 『ぐるりのこと。』 (シネマライズ渋谷)

寄り添うふたり。

gururi04.jpgある夫婦の10年間が描かれている。夫婦それぞれの性格は対照的で、妻は合理性を重んじる傾向があり、何事も「ちゃんと」していないと不安を感じてしまう近代的な女性である。一方、夫は「どっちつかず」。何事にも明確な意思を示さず、なにを考えているのかわからないところがあり、そうした彼のゆらゆらしたところが妻の癇に障る。そしてある事故をきっかけに、妻の心は下降線をたどり、自分で自分を追い詰め、ついにはパニックに陥ってしまう。心が引き裂かれ、押し潰されそうになる。そんな彼女を夫は温かく見守り、その側に寄り添う。

この夫婦間のやりとりを眺めながら、同時代の自分のことを思った。まだ若く、この硬質な世界を生き延びるためにちゃんとしなければという気持ちと、そんな乾いた世界に絡め取られることなくゆるゆるとしていたいという願望が心の中でまだ混沌としていた。当時、たしかにこの夫婦と同じような葛藤が自分の頭の中で渦巻いていたと思う。そこにはふたりの自分がいて、そのふたりがしばしば揉め事を起こすような感覚である。

というか、状況はいまも変わらないとは思う。世間というか自分の中のある部分は私にちゃんとすることを求めているし、私もその要求にそれなりに応えようとはしている。けれど、とくに2001年頃を境に、ちゃんとしなければ、という強迫観念は私の意識内で後退する一方で、ここ最近ではむしろなにかと緩みがちである。今、私の心は、あの頃よりも柔軟になりバランスがとれているような気がするし、多少は成熟が進んでいるように思える。

映画としては、とくに冒頭からあの嵐の晩以前の描写がのろいというか、無駄なシークエンスがいくつも挿入されているように思えた。それはタイトルの末尾に「。」をつけるようなものなのかもしれない。媚びているのだろうか。へんな冗談や、味噌汁に唾を垂らす部分はいらなかったと思う。あと、あの時代に起きた社会的事件が裁判やTV報道を通して描かれていたけれども、それが夫婦の世界から少し遊離していて、うまく重なっていないように感じられた。しかし、そうした部分を補って余りあるのは木村多江の演技である。いまどき、あんなに全力で泣く人をみる機会は滅多にないと思う。あの場面を観ていて、彼女は身代わりなのだと感じた。
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2006年10月21日

「ディア・ピョンヤン」 離別した家族を繋ぐもの

ヤン・ヨンヒ 監督 『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』 (渋谷シネラセット)

在日コリアン2世であるヤン・ヨンヒ監督は、ビデオカメラを片手に両親と会話し、共に万景峰(マンギョンボン)号に乗って、3人の兄とその家族が暮らすピョンヤンへと向かう。

dear_pyongyang000.jpgヤン・ヨンヒさんの父親は朝鮮総聯の幹部である。第二次大戦後、彼は「・」が掲げる革命の理念に賛同し、故郷である済州島のある大韓民国ではなく、「・」を自身の祖国に選んだ。当時、彼と同じような選択をした在日コリアンは多かったという。その背景には、在日コリアンに対する「・」の様々な支援活動がある。その後、彼は金日成に忠誠を誓い、日本国内における朝鮮総聯の活動に尽力して、さらには3人の息子を「・」へと「帰国」させた。70年代には約9万人の在日コリアンがこの「帰国」政策に応じたという。革命による祖国統一の夢を実現させるために、息子たちは「・」に自らの人生を捧げたのだ。

この作品の最大の魅力は、ヤン・ヨンヒさんの父親が持つキャラクターだと思う。酒に酔い、ハングル混じりの関西弁で怒鳴るようにまくし立てながら、豪快に笑う。そのうえヨンヒさんに向かって、自分の言うことに従おうが従うまいが、立派に成長できたことそれ自体が素晴らしい、と正面から言える。そして妻への愛情をありのままにあらわし、家族が家族であり続けるよう努めている。父親としてとても魅力を感じる人物である。

彼の妻は、息子たちが「・」へと渡って以来、痩せ尊り、やつれていく息子たちとその家族の許に日用品を送り続けている。彼女は子や孫に宛てた荷物をいくつものダンボール箱に詰め込み、それを万景峰号に託すのだ。その手慣れた荷造りの様子は、30年以上に渡る彼女の荷送りの歴史を感じさせる。そして船は、両親の想いと革命の抱える矛盾をのせて、水平線の向こう側へと消え去っていく。

*****

この作品は、国家の野蛮に翻弄され、引き裂かれてしまう家族の姿をその内側から捉えている。その情景を眺めていて改めて気づくのは、家族を想う気持ちと国籍は無関係であるという考えてみればあたりまえの事実であり、そのあたりまえがしばしば忘れ去られてしまうという残酷な現実である。

人は、両親や出生地を選びとることはできない。どのような境遇に生まれるか、それは運命に委ねるしかないのだ。しかしどのような境遇に生まれようと、人が人であることにかわりはない。その国籍を理由に殺されるいわれはないのだ。

(関連記事:経済制裁とは兵器を使用しない無差別殺人である/2006/10/22)
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2006年10月04日

「近松物語」 磔刑の恍惚

溝口健二監督 『近松物語』 (恵比寿ガーデンシネマ)

家の窮状を救うため、おさんはカネと引き換えに京の大経師以春の後妻となった。しかし、怠惰な兄道喜と母おこうはその後もおさんの許を訪れ、カネの無心を繰り返す。おさんは五貫の借金を以春に申し出ることができず、経師職人である茂兵衛に相談を持ちかけ、これがきっかけとなって、ふたりは不義密通の嫌疑をかけられてしまう。その末、家は手代や女中を巻き込んだ大騒動となり、おさんと茂兵衛は以春の許から姿を消すのだった。

chikamatsu_06.jpgこれまで観た2作品と同様、小舟で琵琶湖を渡るシーンが序盤の山場として描かれている。湖の底は死の領域であり、舟が浮かぶ湖面はその入口である。夜の闇の中、ふたりはこの世から離れて死の淵を漂い、その永遠の暗闇を間近に眺める。そして言葉を交わすうちに気持ちが昂り、互いの恋情を露わにする。目前に迫る死の暗闇が、隠されたふたりの欲情を解き放ち、剥き出しにしてしまったのだ。舟は、抱き合ったふたりを乗せたまま、生死の境界をゆらゆらと彷徨う。

ほとばしる欲情は生への執着を生み、おさんと茂兵衛は死の暗闇を遠ざけ、そしてこの世へと舞い戻る。しかし、彼らはそこから再び死の闇へと向かおうとする。ふたりは互いに手を取り合い、離れてはまた駆け寄って、抱き合いながら足を引き摺り、険しい山道をさ迷い歩く。おさんと茂兵衛の性愛が描かれる代わりに、ここでは死に向かうふたりの旅の様子が執拗に描かれている。つまり、この旅は、おさんと茂兵衛の性愛そのものなのである。

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性行為自体を描かずにそれを表現しようとする本作のラストでは、磔刑を目前に控えたおさんと茂兵衛が市中を引き回される様子が描かれている。死刑執行前のふたりの姿をひと目みようと、ふたりを取り囲むように無数の野次馬が通りに群がるのだが、ここで以春の家の女中たちは、ふたりがとても幸せそうな表情を浮かべていることに驚く。おさんと茂兵衛の視線はすでに処刑の向こう側へと向けられている。この悲劇は、女と職人をカネと家から解放し、その命を奪うと同時に悦楽の絶頂を与えているかのようにみえる。

演出には巧さが目立ち、抑えが効いていて、『山椒大夫』(過去記事)のような荒々しさはあまり感じられなかったけれど、その演出の表層の下には、『山椒大夫』に劣らないどころか、それ以上の激しさが隠されているような、とても渋みのある作品だった。

(関連記事:「エロスの涙」 われらの狂気を生き延びるために/2006/08/05)
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2006年09月21日

「山椒大夫」 失われた母なるものへの郷愁

溝口健二監督 『山椒大夫』 (恵比寿ガーデンシネマ)

まだ幼い厨子王と安寿は、旅の途中、巫女と名乗る老女に騙され、母親と引き離されて、山椒大夫が支配する丹後の荘園に売り飛ばされる。彼らは人買いが仕組む罠に掛かってしまったのだ。ふたりはそこで奴隷となってしまうが、その生き地獄に耐えながら、両親との再会を夢見て懸命に生き延びようとする。そして十年の歳月が流れる。

sansho_dayu00.jpg本作の舞台は、貴族社会が弱体化し、かわって武士が台頭する平安時代の末期である。溝口監督は、この国がかつて迎えた大きな転換点であるこの時代に、近代の日本社会の姿を重ねようとしている。公から切り離された私的領域の中で奴隷を酷使し、莫大な富を生み出そうとする山椒大夫は、この硬質な社会を取り仕切る狂った支配者の象徴として描かれている。その容姿はとても醜く、周囲にみせる態度も残忍極まりないものである。

出口のみえない生活に絶望し、その挙句の果てに、山椒大夫の言いなりになって日々をやり過ごしていた厨子王は、妹の安寿との口論をきっかけにして、「慈悲のないものは人ではない」という父親の言葉を思い起こす。そして、クニを追われた父親と再会するために、母と旅していたあの頃の様子が思い浮かぶ。厨子王は、その荘園を抜け出すことを決意し、安寿にそれを告げる。

*****

左右に流れながら物語を捉え続けるカメラ・ワークや美術、それにキャスティング、そのどれをとっても素晴らしくて、圧倒された。いわゆる勧善懲悪的な展開ではなく、それにハッピーエンドで結ばれるわけでもないこの物語を、溝口監督は一流の娯楽作品に仕立て上げることに成功している。涙あり、拍手ありの劇場の様子は、公開当時(1954年)の観客の反応とそう違わないのではないだろうか。思うのは、描かれている世界と自分が身を置くこの世界が確かに地続きである、ということだ。だからこそ、観客は厨子王に自分自身の姿を重ねることができるのだろう。観る側も厨子王と同じように、なにか大切なものを失い続けながら生きているのだ。その痛みがこの作品には焼き付けられている。
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2006年09月18日

「雨月物語」 女は存在しない

溝口健二監督 『雨月物語』 (恵比寿ガーデンシネマ)

貧しい陶工である源十郎は、自分の陶器を市に出せばそれなりのカネになることを知り、目の色を変える。戦乱の世に商売どころではない、という声には耳を貸さず、義弟の藤兵衛と組み、あまり乗り気ではない妻を叱咤して、戦の間隙を縫いながら琵琶湖を渡り、近江大溝にある市へと向かう。

ugetsu00.jpg貨幣と刀を身につけ、狂う男たちの姿が描かれている。源十郎は貨幣を追い、藤兵衛はそれを足掛かりに武士に成り上がろうと企む。彼らが目指す未来はどこか妄想的で、その妄想を追い求める姿はこの世から浮き上がっているようにみえる。男たちは、貨幣と刀の力によってこの世界を支配できると信じているのだが、実のところは、貨幣や刀の持つ魔力に支配されているに過ぎない。悪魔に憑かれた戦国の世の男は、自身の狂気には気づかぬまま、自ら生み出した妄想をどこまでも追い求めるのだ。

その犠牲となるのは女たちである。藤兵衛の妻阿浜は飢えた武士たちに輪姦された挙句、その背中に貨幣を投げつけられる。その末に、彼女は遊女にまで身を落としてしまう。源十郎の妻宮木は、食い物を奪われた末に槍で刺され、幼い子を背負ったままのた打ち回り、息を絶やす。女たちは男の妄想に殺されていくのだ。その惨さが惨さとして生々しく描かれている。妄想に狂う男たちと殺されていく女、その対比が、本作が描こうとしている最も重要な要素なのではないだろうか。

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また、本作では、死霊となった女の復讐も描かれている。物の怪である若狭が、その美貌を利用して源十郎に言い寄り、彼の命を奪おうとするのだ。その様子は、男の妄想に殺され、死霊となった女たちが、この世に若狭を送り込み、妄想にうつつを抜かす男をあの世に引きずり込もうとしているようにみえる。源十郎は恋に落ちた相手がこの世のものではないことに気づき、命拾いするのだが、夢から醒めた時にはすべてが手遅れになっている。もうこの世に女は存在しないのだ。
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2006年09月03日

「異常性愛記録 ハレンチ」

石井輝男監督『異常性愛記録 ハレンチ』

harenchi00.jpg典子は紳士的で優しい吉岡に心惹かれながらも、深畑との関係を断ち切ることができない。それに乗じる深畑は、昼夜を問わず、典子に異常な性愛を迫る。典子は心身ともに傷つき、幾度も別れを切り出そうとするのだが、気づくと深畑の醜い体に身をあずけているのだった。

深畑は染物会社の社長をしている。しかし、ボンボン育ちでろくに働きもせず、四六時中セックスのことばかり考えているような男である。深夜、彼が家に帰ると、病で床に伏している妹や母親、そして三つ指をついて出迎える妻がいる。裕福な一家の主である深畑は、その恩恵を貪ることに躊躇はないのだけれど、殺伐とした家庭には近づきたがらない。その乾いた世界からの逃げ場所が、典子のアパートであり、彼女のからだであるのだ。

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最も重要であるはずの、深畑の描写がいまひとつだった。とくに前半、彼の目や口元や鼻の穴のアップに猛獣の鳴き声が重ねられる映像が繰り返し挿入されたのだけど、それがあまりに粗末で、映し出される度に気持ちが萎えてしまった。この作品、タイトルはとてもいいのだけれど、わざわざ劇場に足を運んで観るほどのものではないと思う。でも、劇場は何度も笑いに包まれ、最後は拍手喝さいだった。まあ確かに、ラストのドタバタぶりは悪くもないのだけど、かといって絶賛するほどの演出でもないような気がする。ただ、女優陣はみな綺麗な人ばかりだった。
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2006年09月02日

ある映画監督のドキュメンタリーを2本

溝口健二の没後50年を記念して、9月9日(土)から『溝口健二の映画』と題された映画祭が恵比寿ガーデンシネマで開かれる。さらに、それに先行するかたちで、NHK-BSでも溝口作品が特集放送されている。2本のドキュメンタリーと、10本前後の溝口作品が放送されるようだ。

ぼくは、これまで溝口作品をまともに鑑賞したことがないので、これを機会にいつくかの作品を観てみたいと思っている。できれば、収入もあることだし、劇場で観たい。だからTVで放送されている作品はとりあえず録画しつつ、今後の鑑賞プランを考えているところだ。

*****

というわけで、今週、まずは2本のドキュメンタリーを鑑賞した。

mizoguchi_kenji02.jpg新藤兼人監督『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』
櫻田明広監督『時代を越える溝口健二』

1898年(明治31年)、東京湯島の瓦ぶき職人の息子として生まれた溝口健二は、17歳で母親を亡くし、その後、いくつかの職を転々とする。その当時は、ある男の妾であった姉の世話にもなったようだ。そして22歳の時、日活向島撮影所に入社し、映画の世界に足を踏み入れる。当初は俳優を目指そうとしていたのだが、製作側に配属され、その後、若干24歳にして監督となった。

溝口の演技指導は、役者を常に極限まで追い詰めるとても厳しいものであったようだ。演出というより脅迫だった、という証言もあるくらい、その撮影現場は緊迫したものであったらしい。いくつもの証言によって浮き彫りにされる溝口健二の実像は、まぎれもなく明治生まれの近代日本男児の姿そのものである。意外に階級意識も高く、官尊民卑的な価値観を持っていたという指摘もある。

しかし、撮影現場では父権的に振る舞う溝口健二も、その作品の中で繰り返し描いたのは社会の下層に生きる女たちの姿であった。その一方で、父親は徹底して醜く描いたという。公私を問わず溝口の視線が下層の女性に注ぎ込まれた背景には、やはり彼自身の生い立ちが深く影響しているのだろうと思われる。取材で彼が吉原の病院を訪れた時、そこで治療を受けている娼婦たちの姿に衝撃を受け、それは男たちが悪いのだという院長の言葉に、涙を浮かべながら自分が悪いと呟いたというエピソードはとても印象深いものだった。

そしてもうひとつ、溝口作品に大きな影響を与えたのは戦争の記憶である。溝口は基本的に悲劇ばかりを描いたけれど、そこには戦争体験に裏打ちされた、生きることに対する緊張感が滲み出ているという。父親との関係と戦争の記憶、どこかしら通じるものが感じられるこのふたつの要素がどのようなかたちで映像化されているのか、それがとても興味深い。

*****

『時代を越える...』の中で、溝口作品の映像がいくつか紹介されていたけれど、予想していたより映像の劣化は少ないように思えた。それに、長回しのシーンで滑らかに移動するカメラワークに惹かれた。あの映像は、やはり劇場で観るべきなのかもしれない。さて、どうしようか。
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2006年08月27日

「蟻の兵隊」 戦争の痛みと向き合うための旅

池谷薫監督『蟻の兵隊』

1945年。北支派遣軍第一軍は、中国の山西省で第二次大戦終結を迎える。しかし59,000人の将兵のうち約2,600人は、武装解除を拒み、中国国民党に合流して共産党軍との内戦を戦う。その4年後、彼ら中国残留兵は日本に帰還するが、政府は彼らを逃亡兵と見做し、その戦後補償を拒む。中国残留は軍の指令によるものだとする元残留兵らは、この政府の見解を不服として軍人恩給を求める訴訟を起こした。その原告団のひとりである奥村和一氏をカメラは追う。

ari_no_heitai02.jpg奥村氏ら原告団は一審で敗れ、その後の控訴も棄却される。上告審で判決を覆し、自分たちの権利を認めさせるために、奥村氏は中国まで足を伸ばして証拠探しに奔走するのだが、裁判所はそれを黙殺し続ける。終戦後60年が経過しても、国が彼らを見殺しにしているという状況にかわりはないのだ。

政府が自国民を棄てる、あるいは見殺しにする、という話は、満蒙開拓団や南米の自営開拓移民など、これまで様々なケースが告発されている。しかしながら、おそらく、この国家による自国民殺しはこれからも別のかたちで続いていくのだろう。

ただ、この作品においてとても興味深いのは、国家の野蛮だけではなく、戦争そのものの悲惨さを露わにするために、奥村氏が中国を旅するところである。この作品は、奥村氏があの戦争と再会するためのロードムービーとして仕立てられている。奥村氏は、訴訟のための証拠探しだけではなく、自分が身を置いた戦争とは何だったのか、という問いに答えるために、自身がかつて駐留した中国山西省を訪れるのだ。彼はそこで現地の人々と顔をあわせながら、当時の状況を訊ね、保管資料を閲覧し、かつての軍事施設に足を運んで、当時の日本軍がおこなった蛮行の記憶と再会する。そして、自身がそこで行った殺戮行為をも明らかにしていくのだ。

*****

戦争が悲惨であるのは、戦争は戦争であるがゆえにそこには戦場があり、その戦場では人間の心の中に潜む残虐性が剥き出しにされて、さらにその残虐性によって無数の人々が不合理な死を迎えなければならないところにあると思う。命を奪われる側も、その命を奪う者にとっても、それはとても悲惨な経験であるはずで、実際、その地獄を生き延びた人たちの多くは、その記憶を消し去るため、当時の出来事に関しては口をつぐみがちである。しかし、奥村氏はその悲惨な過去とあえて対峙し、その痛みを映像として記録している。戦後生まれの世代が戦争を語るときに忘れがちな、戦争に伴なうこの深い痛みを、間接的にではあるけれど、この作品を通じて感じることができたような気がする。
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2006年07月16日

「ヨコハマメリー」 消えゆく戦争の傷あと

14日(金)。渋谷、円山町。Q-AX CINEMA。中村高寛監督『ヨコハマメリー』

横浜の街頭に女は立ち続けた。その顔はおしろいで厚く覆われ、からだを包むドレスは純白であった。白ずくめの彼女は「メリー」と呼ばれた。ハマのメリーは、娼婦として戦後半世紀を生き抜いてきたのだ。その彼女が、1995年の冬、横浜の街から忽然と姿を消した。

yokohama_merry00.jpgカメラはこの国の戦後を辿る。メリーさんは大戦中に父親を亡くしたことがきっかけとなって、終戦直後に故郷を離れ、進駐軍の将校を専門とする、いわゆる”パンパン”となった。その後、彼女が横浜に辿り着いたのは、高度経済成長期の60年代半ば、”戦後が終わった”年の少し前のことである。しかし、彼女の”戦後”はまだ続いていた。組織に属さず、独立した街娼として、彼女は独り横浜の街角に立ち続けたのだ。そしていつの頃からか、彼女は「ハマのメリー」と呼ばれるようになった。

その後、周囲の人々の証言によって、姿を消したメリーさんの人物像が少しずつ浮き彫りにされていく。その中心となるシャンソン歌手の永登元次郎さんは、メリーさんの息子のような、弟のような存在であった。

このふたりを結びつけたのも、あの戦争の傷跡である。彼もまた、大戦で父親と離別したため、母親と兄弟の3人で生き抜くことを強いられてきたのだ。彼の母親は、当時、水商売を営みながら息子たちを育てた。しかし、まだ未熟であった元次郎さんは、母親の生き方に受け入れがたいところもあって、彼女を口汚く罵ったこともあったという。その時に元次郎さんが吐いた言葉は、彼の母親だけではなく、彼自身の心にも深い傷をつけてしまった。それから月日は流れ、後悔を抱えたまま晩年を迎えた彼の前に、ハマのメリーが現れたのだ。元次郎さんは、ハマのメリーに実母の面影を重ねた。

このふたりの人生には、この国の「戦後」が凝縮されている。戦争は多くの娼婦を生みだしたが、その後、「もはや戦後ではない」という宣言がなされ、社会が裕福になるにつれて、この穢れた者たちに対する人々の態度も変わっていく。そうした社会の移り変わりの中で、メリーさんの居場所も少しずつ狭まっていくのだ。そしてついに、横浜の街は、存在そのものが戦争の傷跡であるハマのメリーを消し去ってしまう。

*****

終盤、再会のために、末期癌に冒された体に鞭を打って、元次郎さんが旅立ち、そして「マイ・ウェイ」を熱唱するところまでの流れがとても素晴らしかった。

病室の空のベッドが映し出されて、それから列車の窓へとカメラが移り、その先を延々と、尽きることなくどこまでも伸びる線路が映し出される。元次郎さんは、この世の果てでメリーさんと再会し、力の限りを尽くした「マイ・ウェイ」を歌う。その想いの塊を、メリーさんは凛とした佇まいをもって受けとめるのだ。その美しい魂の交歓を捉えたショットは、おそらく映画には表せない類のもので、たぶん、これはドキュメンタリーの真骨頂といえるものではないかと思う。そして彼らはカメラに別れを告げ、この世界から消え去っていく。
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