2009年11月24日

「HARVEST MOON」 時の残酷

『HARVEST MOON』 (六本木ヒルズアリーナ)

高木正勝 (ピアノ)
ヤドランカ (ボーカル、サズ)
福井則之 (馬頭琴、ホーミー)

takagi_masakatsu_lightpark.jpg贅沢な時間。都会の真ん中で、野外で、さらに無料で高木正勝の音楽が聴けてしまうのだから、これを贅沢といわずしてなんといえばいいのか。しかも、生の演奏なのである。ステージで揺らぐ三人の姿、後方のスクリーンに照らし出される映像を眺めつつ、このまま時が止まってしまえばいいのに、とかなんとか、ありえもしないことを願う。

しかし時の流れとは残酷なもので、このつつましい幸福な時間をあっけなく終わらせてしまう。しかも、演奏の終わりをぐだぐだにして。あれは緊張の糸が切れたせいなのだろうか。周囲のノイズが悪かったのか。あるいは六本木という街にわく毒気がそうさせたのか...すべては謎に包まれたまま、見あげると、夜空。

いっそのこと、すべてを終わらせてくれればよかったのに...散会後、高木正勝さんが落ち込んでいるのではないかと心配になりながら、それでも初期の作品をライヴで観たのは収穫だったなあ、なんて思いながら、同じく観にいったふたりと一緒に夜半まで呑み、とぼとぼと、帰宅。そういえば、月はあの日のあの空に出ていたのだろうか。
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2009年10月25日

「TAI REI TEI RIO」 自由と成熟のつながり、そこから湧き立つもの

高木正勝 『Tai Rei Tei Rio』 (EPIPHANY WORKS)

高木正勝のライヴ・アルバム。音源は、あの時のコンサート・ツアーから(過去記事)。

tai_rei_tei_rio.jpg最初に聴いたときは、正直、少し物足りなく感じてしまったのだけれど、それは本作にあのコンサートそのままの臨場感を期待していたからで、そもそもライヴの昂奮をそのままパッケージ化することなどできるはずもなく、そう考え直せば、これはこれでよいアルバムだと思える。

とても気に入っているのはtrack#3の「Ana Tenga」、その前半部分で、ピアノの旋律がゆらぎながら崩れるようにしてリズムの波の中に溶け込む音の流れに恍惚となる。あとは、「Ceremony」の吐息であるとか、ほかにもいろいろな細かい音が重なり、繋がりあいながら摩訶不思議なグルーヴを醸していて、特設サイト(link)の情報によると、このコンサートではこれまでより各メンバーによるインプロヴィゼーションを尊重したということなのだけれど、その効果か、以前の「Private/Public」(過去記事)より演奏の自由度が増しているぶん音の奥行きに深みがあり、ライヴ全体の成熟度が進んでいるように感じられる。それで聴いていて、耳触りが柔らかい。だからついつい繰り返して聴き込んでしまう。

自由度が増すことで成熟が進む不思議。そこに音楽の魅力が隠されているのかもしれない。
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2009年10月10日

「或る音楽」 イメージと記憶のモザイク

友久陽志監督 『或る音楽』 (ユーロスペース渋谷)

「Tai Rei Tei Rio」をめぐって。

aru_ongaku.jpg高木正勝が森や海辺を歩く姿、彼の言葉、「Tai Rei Tei Rio」(過去記事)のリハーサル、そのコンサートの様子など、映像と音と言葉によるモザイク。去年のライヴを実際にみていると、あのときの興奮が静かに甦ってくる。

作品単体として、このドキュメンタリー映像にどれほどの価値があるのかはよく分からないけれど、あのライヴの復習としてみる限りにはとてもよい素材だと思った。暗闇の中、高木正勝の世界に浸ることができるし、すべてを忘れられる。そして毛穴から、あのときの記憶が静かに湧きあがってくる。眼前のモザイクと記憶のモザイクの交差。そこで生み出されるグルーヴが、意識を浮遊させ、わたしをどこか遠いところへ連れ出してくれるのだ。

実は、中沢さんとのトークイベントの日に本作を観ようとしたのだけれど、当日の夕刻、すでに満席で中に入ることができなかった。聞くところによると、その日は予約のために朝から並ぶ人もいたという。で、そのかわりというわけではないけれど、この日、客席にヤドランカさんをみつけ、その幸運に気分が盛り上がった。彼女はとても目立っていた。帰宅後、ネットで彼女やほかのメンバーのプロフィールをチェックしたり、ライヴスケジュールをみてみたり。なにもかもが興味深く思える夏の夜であった。
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2008年11月22日

「Tai Rei Tei Rio」 永遠と一瞬の交差

高木正勝 『タイ・レイ・タイ・リオ』 (めぐろパーシモンホール・大ホール)

タイトルの意味は、「波のように大きく振れ、小さく振れ」

tai_rei_tei_rio.jpg初めての体験だった。気持ちは昂ってくるのだけれど、ロックやファンク、あるいはクラブ・ミュージックを浴びるときのように、それがからだの外へ向かうのではなく、内側にとどまり続ける。その空間には高木正勝の音楽と映像だけがあり、そこに立ち会う観客はいたって静かなのだけれども、かといって舞台と客席が乖離しているわけではなく、音楽と映像を唯一の媒介としてホール全体はひとつながりであった。あらためて舞台をみると、つかわれている楽器に統一性はない。が、そこから湧きあがってくる音楽には不思議な全体性が感じられる。そしてその波動は、同調する映像をも巻き込み不思議なグルーヴを生み出して、客席をのみ込み、さらに大きな波動となって私の心をふるわすのだ。

感激した。最後の最後までずっと静かに観ていたのだけれど、途中、涙と拍手の衝動に襲われ、どうしようかと思った。不思議な心持ちだった。人は、感激するとどうして拍手したくなるのだろう。などと、答えの出ない問いを心の中で繰り返したりしながらどうにか最後まで正気を保った。特別な時間はゆったりと流れているようで、ふと気づくと瞬時に過ぎ去っている。そこでは永遠と一瞬が交差している。

アンコールの最後、高木正勝のMCがあったのだけれど、彼は喘ぐばかりでなにも言葉にすることができなかった。息も絶え絶えに、もう真っ白です、と言うしかなかった。たぶんこのコンサートは、彼やほかの演者にとって最高の作品に仕上がったに違いない。もちろん、僕にとっても最高のひとときだった。いま振り返ってみても、あのときが奇跡のように思える。
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2008年10月12日

「ITAKO」 溶解する境界線

高木正勝展 『イタコ』 (山本現代)

『Lava』(2008)と『Tidal』(2007)の上映

takagi_masakatsu_lava.jpg

溶解する境界線。『Tidal』では生死の境界をさまよう少女の虚ろな瞳が、一方の『Lava』では、わたしの輪郭が溶けて液状と化す様子が観る者に強い印象を与える。少女の髪はゆったりとなびいている。眺めているうちに、意識がそのままあの世へと連れ去られそうになる。

高木正勝が生み出す映像の魅力はやっぱりそこにあると思う。あの世とこの世の境界が、あるいはこの「わたし」をかたちづくる輪郭が溶け、すべてが渾然一体となる。そのとき、わたしはわたし自身を破壊しようとする暴力を無防備に受け入れ、その刹那に全身をつらぬく悦びに身をゆだねるのだ。

暗闇の中、前方のスクリーンに一作ずつ交互に上映される。一作は三回ほど繰り返され、作品が入れ替わって、また数回反復される。それぞれは三分にも満たない小さな作品であるのだけれど、スクリーンが三面横に並べられていたり、それぞれの作品が反復されることも手伝って、作品世界に没入して濃密な時間を過ごすことができる。闇の中で仮死状態に陥る。
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2007年11月03日

「BLOOMY GIRLS」 境界を越え、混ざり合う粒子

TAKAGI MASAKATSU / 『BLOOMY GIRLS』 (BOOK+DVD / BLUEMARK)

bloomygirls.jpg高木正勝の映像を眺めていると、人間の肉体が細かな粒子でできていることや、その粒子がこのからだの外の世界を成すものと同じであることを思い起こす。この肉体が粉々に解体され、その肉のかけらが色とりどりの細かな粒子となって、境界を越え、それまで隔てられていた外の世界と交わる。わたしが消えてなくなりこの世界すべてと繋がることによってはじめて得ることのできる恍惚。ぼくはその官能的な映像を眺めながら思わずうっとりとしてしまう。

この『BLOOMY GIRLS』は、DVDに収録された映像4作品と、その作品群の一部を切り取ることによって編まれたアートブックによって構成される。ぼくは、自分の誕生日を記念して本作を購入した。人生の折り返し地点をまわり、死の暗闇に向かって歩み始めることではじめて視界に入る景色がある。それに気づいたのはいつ頃だったのだろう。
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2007年10月29日

「表現の新しい可能性」 podcasting

takagi_masakatsu03.jpg

tamabi.tv(link)で『表現の新しい可能性 sound and image』(過去記事)のpodcast配信が始まった。この講義は6つのパートに分けて配信されるようで、現時点ではそのパート2までダウンロードできる。今後、11月の下旬にかけて続きのパートが追加されるようだ。ぼくの周囲の人たちはみな高木正勝に無関心なのだが、それでも彼が生み出す映像は美しいと思う。
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2007年09月17日

「private / public」 音魂の響き

Takagi Masakatsu / 『Private / Public』

2006年に行われたソロコンサートを記録したライヴアルバム。

private_public.jpgkaitoの『Contact to the Spirits』を聴いたときに、そのタイトルから「音の精霊」という言葉が脳裏をよぎったのだけれど、このアルバムからも同じようなイメージを感じとることができた。ただし、本作から流れ出る音楽は規則的なビートに裏打ちされているわけではなく、ハウスであるとか、その他諸々のクラブ・ミュージックの文脈からは大きく逸脱するもので、ビートやメロディーから開放された音の響きそのものが持つ力に接近するというか、音楽が本来持つのであろう呪術的な怖さの方に接近していくような感覚を抱かせる。有機的な柔らかさを持ちながらも、いわゆる癒し系のゆるい音とは違うある種の緊張感を持った音のつらなりがそこに感じられる。

このアルバムに対するぼくの印象は、高木正勝本人の言葉から強く影響を受けている。先日のイベントの中で(過去記事)、エレクトロニカとの出会いによって鍵盤から自由になれたという話や、音楽とは突き詰めれば綺麗なメロディーなどではなく、音そのものの響き、例えば、かつて教会で奏でられた聖歌であったり、あるいは古代の洞窟の奥底で鳴らされた音の塊であったり、音魂(オトダマ)とでも呼べるような互いに響きあう音とそのつらなり、それこそが音楽が音楽であるための根源なのではないか、という話などを聞き、それがいまも深く記憶に刻まれているのだ。彼の言葉はとても印象深く、ぴんとくるものがあった。

流れる音楽の魅力。それはいったいどこからやってきて、わたしの脳にどのような影響を与え、そしてどこへと消え去っていくのだろうか。
posted by Ken-U at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像・音楽(高木正勝) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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