2005年09月10日

「放浪記」 それでも書き続ける女

成瀬巳喜男監督の「放浪記」を鑑賞。帰る場所のない女が、言葉を支えに生き延びていく様子を描いた物語。

horoki02.jpg行商人の娘として育った林ふみ子。彼女はふたりの父親を憎みながら育った。上京後、母親を田舎へ帰し、ふみ子は独りで生きていくことを決意する。

やはり男で苦労する。ふみ子を静かに見守り、尽くす定岡にはなびかない。美男で物書きの駄目男たちと恋に落ち、同棲し、結婚する。そして失敗する。

極貧から抜け出すこともできない。ぎりぎりの状況の中で生きるふみ子は、常に死と隣り合わせている。すべては終わると灰になるということを彼女は知っている。それでも生と死の境界を逞しく生き抜いてみせる。遊郭のすぐ側のカフェで女給として働く。夜、墓場を散歩する。原稿用紙を炎にかざしてみる。

言葉がふみ子を支えている。詩や童話を書いている。詩は学が無くても書けるからだ。言葉はふみ子の武器でもある。彼女は言葉で闘い、そして勝ち抜いていく。

なんだか泣ける作品。伊達がふみ子の詩を読むだけのことで泣けた。

*****

成瀬巳喜男は少年時代から金で苦労したらしいけど、それがどの作品にも投影されている。金と情愛。そして芸術。映画は彼にとってかけがえのないものだったんだろうな。


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2005年09月08日

「晩菊」 金が引き裂くもの

成瀬巳喜男監督の「晩菊」を鑑賞。再び金と情をめぐる物語。

bangiku01.jpg元芸者で金貸しをしているおきんを中心に物語が進む。冒頭、おきんは札束を数えている。独身で、身寄りもなく、金だけを心の支えにして生きている。唯一の同居人は女中として雇っている若い娘。耳も聴こえず、口も利けない娘を雇うところに、他者を必要としないおきんのキャラクターが強調されている。そんな金とともに生きる女を、杉村春子が好演している。こういう役ははまる。でも作品としては地味になるかな。

おきんと対照的に生きる存在として、元芸者仲間のたまえ、おとみ、のぶの3人が登場する。この3人は貧しく暮らしている。のぶには夫もいて飲み屋を経営しているが、たまえとおとみは未亡人で、家計は常に逼迫しているようだ。
たまえとおとみは貧しく暮らしているのに金には執着しない。子供の存在が彼女達の心を支えている。しかしその子供達も彼女達の元を去っていく。それでも彼女達は子供を持てたことに感謝している。たまえとおとみが酒を酌み交わし、子供を持てたという事実に乾杯する姿がとても印象的だった。

おきんは元の仲間にも金を貸していて、取り立ても厳しいことから、皆に憎まれている。しかし、おきんがそうなったのも理由があって、彼女なりに重いものを抱えながら生きている。確かに金は彼女を支えるようになったけど、その一方で他者から引き裂いてもいる。独りで生きていく女の哀しみが、淡々と描かれていた。

たまえとおとみが乾杯するシーンを眺めていて、何故か「コーヒー&シガレッツ」のラストを連想してしまった。でも、こちらの乾杯の方が生命力に溢れている。おとみのモンロー・ウォークに笑った。
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2005年09月07日

「妻」 怖い女に翻弄される男

成瀬巳喜男監督の「妻」を鑑賞。夫婦関係の破綻を悲喜劇的に描いた物語。

「めし」に近い話。でも結末がずいぶんと違う。殺伐としたラストに向かって、物語は喜劇的に描かれながら進んでいく。

tsuma.jpg中川十一と美種子は結婚して10年になる。十一の安月給を、美種子の内職で補っている。結婚して10年にもなると、夫婦は男と女ではなくなっていて、美種子の振る舞いからも、女の色気を感じることはできない。表情にしてもそうだし、煎餅にはバリバリと噛りつくし、箸を楊枝代わりに使うし、お茶で口を濯いでみせたりする。
そんな夫婦の関係は冷え切っていて、お互いの心の中には夫婦生活に対する疑問が燻ぶっている。

そんな日常を送る中、十一は同僚の相良房子に惹かれていく。というか、それとなく房子に誘惑されている。房子は絵画を好む子持ちの未亡人で、やがて会社を辞め、実家のある大阪へと帰る。実家から「葉書」で十一に便りを送るところに、女の怖さが表現されている。そして美種子は気づく。十一は大阪出張の際に房子を訪ねる。女に翻弄されていく。

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中川家は間貸しをしていて、その住人達の物語も並行して描かれていく。仕事のない夫に愛想を尽かして出て行く女、パトロンに囲われてひとりで住んでいる銀座のバーの女、その女を訪ねるパトロンの妻。それら複数の物語が巧みに編まれている。

美種子のキャラクターが様々なかたちで表現されているのも面白かった。特に台所のシーン。彼女は与えることに無関心で、他者から与えられることにばかりに拘っている。そこが彼女の致命的なところ。

美種子も房子も違うタイプの怖さを持った女。十一はふたりの女に翻弄される。成瀬巳喜男は女性を描くことに定評があるけれども、その視線はとても男性的だなと感じる。
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2005年09月06日

「妻よ薔薇のやうに」 金と情をめぐる家族の絆

成瀬巳喜男演出の「妻よ薔薇のやうに」を鑑賞。夫婦の別離にまつわる物語。

tsuma_bara.jpg舞台は東京。山本君子はオフィス街で働く現代的な女。精二という恋人もいる。

母親の悦子は歌人で、芸術に対してとても真摯な女性だ。自分の無意識と向き合いながら、浮かぶ言葉を短歌することに身を捧げている。弟子はいるが、月謝をとることはしない。とても禁欲的な暮らしをしている。ただ、関心が芸術にばかり向かっているので、他者と接することは得意ではない。

山本家に主はいない。父親の俊作は仕事と称して長野の山奥で暮らしている。彼の仕事とは、山中での金脈探し。金でひとヤマ当てようと企んでいる。しかし金は見つからず、企みは行き詰っている。そんな俊作を、お雪という女が献身的に支えている。ふたりの間には子供もいる。

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暗い闇の底から湧き出るものに魅力を感じるという点で、俊作と悦子はよく似ている。しかし、その湧き出るものが、カネに換えることが難しい言葉と、カネそのものである金脈であるという相違点が、ふたりの心を通じ合えないものにしているのかもしれない。俊作が悦子のことを、立派過ぎるから苦手だというのもよくわかる。俊作はとてもだらしのない男だから。

悦子は俊作を愛しながらも、意識は常に創作へと向かっているので、俊作とうまく対峙することができない。悦子の優先順位は芸術にあるのだ。俊作は、もはや東京の家に自分の居場所はないと感じている。そして俊作は、金脈があると信じる山へと向かう。自分の夢を山に託そうと決心するのだ。

俊作を支えるお雪の金に対する姿勢も興味深い。男のために、髪結いをしながら金を稼ぎ、生活を支えている。そして決して金には換えることのできない大切なものを守るために、生活費以外にも多くの金をつかっている。悦子とは違い、お雪の優先順位は愛する他者にある。その姿勢が俊作の心を動かすのだろう。


悦子と俊作、そしてお雪の間の複雑な関係が、深みを持って描かれていた。それに君子とお雪の娘、このふたりの間にある微妙な距離感も印象に残った。これまでに観た映画で2番目に古い作品(1935年)だったけど、古さは感じず、なかなか楽しめた。ただ、しょうがないとは思うけれど、映像や音声がかなり劣化しているのが残念だった。
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「めし」 女のしあわせとは

成瀬巳喜男監督の「めし」を鑑賞。成瀬巳喜男の生誕100年を記念した特集が、NHK-BSで企画されている。24本の成瀬作品が放送予定。その第1弾がこの「めし」だった。1951年の作品。

meshi.jpg岡本初之輔と妻の三千代は、大阪市の南の外れにある、路地の入り組んだ長屋街に住んでいる。
夫の初乃輔は堅実な男として描かれている。冒頭で三千代から、株屋で株をやらないのはあなたくらいのものでしょう、と言われる。このセリフに、初乃輔の性格が集約して表現されているようだった。身なりは質素だけれども、靴にだけは気を遣っている。軽薄なところはないが、いい男(上原謙)だし、人あたりも優しいので女にモテる。かといって浮気心はない。軽薄な男達から持ちかけられる儲け話も断ってしまう。そんな男だ。

三千代は初乃輔と暮らす単調な日常にうんざりしている。初乃輔の給料が安いので、家計のやりくりが頭から離れることがない。こんな日常に埋もれたまま、人生が終わってしまうのではないか。そういう不安を抱えている。家事に追われる毎日から抜け出したい。そして自分の人生を取り戻し、謳歌したい。密かな願望を抑えながら、三千代は退屈な日常に耐え続けている。

そんな夫婦の家に、東京から初乃輔の姪にあたる里子が突然転がり込んでくる。里子は若くて美しく、奔放な性格を持っている。戦後の女性解放の流れに乗って、人生を楽しもうと生き生きとしている。
やがて里子と初乃輔の親しい仲に、三千代は心を乱されるようになる。そして単調な日常の中で保たれていた均衡は崩れ、夫婦の関係に亀裂が生まれてしまう。

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日常の中で起きる些細な事件を描いた作品。抑えた表現ながら、官能的なショットが散りばめられているのが印象に残った。原節子もとても色っぽく撮られている。初乃輔と里子の間の微妙な距離の描き方にしてもそう。当時の日本の男は静かに欲情したんじゃないだろうか。全体的に描き方が小津より記号的でなく、生々しい感じがした。特に男女の距離の描き方が。

物語としては、原節子演じる三千代が女の幸せを見つめ直す過程が描かれている。日常から離れ、東京の母親と妹夫婦が暮らす家に居候しながら、三千代はひとりで生き直す道を模索する。その障害になるのが、台風と共に再び現れる里子。しかし結果的には、三千代は里子のおかげで自分の道を見つけるんだけど。そして三千代の知り合いの未亡人の姿も、彼女の選択に大きく影響を与えている。

女性の解放が謳われる社会の中で、女が恋愛や結婚、そして仕事の間で揺れ動く。その姿には現在と通じるものがあるけど、状況はより難しいものになっている。
posted by Ken-U at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(成瀬巳喜男) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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