2005年02月11日

悪党に関連して

悪党に関連して何冊かの本を購入しているのでここに記録しておこう。

hinnin_yujo.jpgyakuzatonihonjin.jpgprostitution.jpg

画像左から簡単に...

*****

網野善彦「中世の非人と遊女」
「悪党的思考」ときたら「異形の王権」にいくのが本来なのかもしれないけど、読了した翌日に文庫化・再発されたというタイミングの妙になにかを感じてしまい購入。悪党は被差別民でもある。

現代のわれわれが、職人の見事な腕前に「神技」を感ずるのと同様、このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、されには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。 (序章より)

*****

猪野健治「やくざと日本人」
現代における裏社会の住人、やくざの歴史にも興味がわく。そこに中世悪党の名残はあるんだろうか。

「やくざは、むかし八九三と書いた。……花札賭博でいうブタ――点数にならないカス札からきたわけである。」やくざはいつ発生し、なぜ現代社会に存在しつづけているのか?そして、どこへ行こうとしているのか?戦国末期の遊侠無頼から山口組まで、やく500年におよぶ、やくざの歴史、政治・社会とのかかわりなど、やくざの全体像を初めて解き明かした名著! 解説 鈴木邦男

入手困難。紀伊国屋の地方店から取寄せてやっと手に入れた。ところで解説が鈴木邦男氏というところも面白い。右翼と悪党の繋がりという視点。

*****

Vern Bullough & Bonnie Bullough 「売春の社会史」

ぼくはもセックスに対する知識がろくにない子供の頃から何故か売春と女性の関係については興味があった。なんて子供だったんだろう。悪党についてあれこれ考えてたらこの本のことを思い出した。原始社会における売春のルーツから古代オリエント、ギリシャ、ローマ社会、中世…そして現代まで。東洋、西洋、キリスト教、イスラム教など世界の様々な文化における売春史を幅広く網羅している。ぼくは中世ヨーロッパまで読んだところで、この本をほったらかしにしていたことを思い出した!


posted by Ken-U at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月10日

「悪党的思考」 悪党的感性の魅力

中沢新一著『悪党的思考』 (平凡社ライブラリー)

akutou.jpg本書は、後醍醐天皇による建武の新政を切り口にしながら、中世以降の王権が抱えていた権力の二重性を指摘し、表舞台からは見えることのない裏側の世界と結びつこうとする魔術王としての天皇の姿を描いている。その裏側の世界とは、いわゆる悪党的世界を指す。そしてこの建武の新政を臨界点として、日本の権力空間が大きく変化したのだという。

では悪党、悪党的人々とはどのような存在なのか。具体的な例をあげると、供御人、山の民、川の民、海の民、商人、密教僧...彼らは流動的な「なめらかな空間」に生きる人々だ。ピュシス(自然)の力と直接関わる境界的存在。それは職人的人々とも表現できる。この「悪党的なるもの」についてさらに引用すると、

「職人」に分類された人々のおこなっていた「技芸」のおおくに共通するものをさぐってみると、それが自然のプロセスとのあいだにつくりあげる特殊な関係に、つながりがあるのではないか、ということが見えてくる。職人のなかには、海や山にすむ動物たちをとっては殺したり、そのからだから肉や毛皮をとることを職業とする人々がいる。そういう職人たちは、とうぜんのことながら、動物の体内から流れでる血と触れあわなければならない。いや、もっと正確なことをいうと、彼らの「技芸」は動物たちのからだから自然(ピュシス)の力を、カタストロフ的にあふれださせ、その力をこの世界のなかにむきだしにすることをおこなうのだ。そのままでいれば動物たちのからだは、そんなふうに激しいかたちでピュシスの力を、自分のからだからあふれださせたりはしない。ところが、狩猟や漁労の「技芸」は、いきもののからだからピュシスをむきだしのかたちで、いわば暴きたてるわけだ。

この「技芸」は、鉱物や粘土からピュシスの本質を抽出して造形する人々、人間のからだからピュシスの力をとり出して破壊してしまう殺人の技術に長けた人々(悪党的武士)、音楽や踊りなどの芸能や性愛の技術によって人間の体の中に通常は隠れてしまっている力を溢れ出させる能力を持つ人々にも共通して保持されている。

*****

「なめらかな空間」からもたらされる海の幸、山の幸、それに若くて美しい娘たちは、古代より贄(にえ)として律令体制をクッションにしながら天皇へと奉げられていた。しかし後醍醐天皇は蔵人所と検非違使庁を設置し、貴族の合議体制であるこの律令体制を骨抜きにしながら、「なめらかな空間」に生きる人々を供御人を介して直接支配しようとしたのである。さらに自らの貨幣を鋳造して商業という「富」の発生する境界場の掌握を試みた。「稲の王」としてだけではなく、悪党的な力を直接的に結集しながら鎌倉幕府を倒し、古代天皇制の復活をとなえようとしたのが建武の新政であると述べられている。

一方、武士による王権とは、「仕切られた空間」を支配することで成り立つ権力である。開拓された土地と稲作を結び付け、合理的に計量することで徴収する税額を算定する。悪党を商人にかえて「幸」を「商品」にかえる。計量や契約など合理性をベースとする「法治する王権」。これはまさにフラットな世界の原形ではないだろうか。鎌倉幕府は倒れたが、その後の武士による統治の中で「なめらかな空間」は解体され、封じ込められながら、「仕切られた空間」が膨張し、社会の中にいきわたっていく。この国をさらなる近代化へと向かわせるための下地づくりが、ここで行われたのだと考えることができるだろう。

*****

この時期に突如歴史の表面に現れ、また消え去っていく悪党たちは、その後の社会においても、そのあり方を変化させながら影響力を発揮し続けた。特に文化面、ファッションや芸能・芸術、そして遊郭における「粋」の世界の中でそれは発揮されたのである。

この歴史的事件は様々な角度から読むことができると思うけれど、ぼくはまずこの悪党たちの存在に強く惹かれてしまう。「仕切られた空間」とその外側にあるピュシスの世界との境界領域である「なめらかな空間」に生きる人々。ピュシスの世界から引き出され、その技芸により立ち上がる創造世界は、ぼくの想像力を強く刺激し、魅了してしまうのである。
posted by Ken-U at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

歪んだアジールとしての仮想空間

kangaeruhito.jpg木曜に取寄せていた本を受け取りに新宿の紀伊国屋へ行った。ついでにぷらぷらと雑誌売場を歩いていると「考える人」という雑誌に中沢新一さんの名前をみつけたので手にとった。中沢さんの「浄土はどこへいった?」という文章が掲載されている。「心のアジール」としての浄土が主題になっていて浄土真宗安芸門徒の人たちへ向けられた言葉として書かれている。最近この「アジール」のことが頭の中に浮かんでいたこともあって立ち読みしてしまった。アジールとはなにかということについて中沢さんの文章を引用する。

中世の歴史学に「アジール」という概念があるのはご存知でしょう。世俗の権力や人間関係のしがらみが及んでくることのできない、特別な空間が中世には実在していました。山林や寺院や聖域の内部に駆け込んでしまえば、外の世界でどんな犯罪を犯した人間でも、それ以上の追求はされなくなるし、借金も帳消しになります。女性がいやなら結婚から逃れることさえできる、アジールと呼ばれるこうした場所は一種の自由空間として、堂々と社会的現実として実在していたのです。

このアジールを「社会学的アジール」と捉え、「心のアジール」としての浄土についてこう書かれている。

中世に実在したというアジールは、自由空間の考え方を山林や聖域のようなかたちで、外側に投射したものですが、これを心の内面に向かって投射するとき、浄土のイメージが発生します。

近世以降、経済原理の浸透とともにアジールは息の根を止められてしまったが、それはアジールへの通路を自ら塞いだだけであって、アジールが人間の知的能力の本質をなしていることにかわりはないということがこの後に書かれている。

*****

ぼくが自宅にPCを買ってインターネットに接続するようになってちょうど10年がたった。当時はまだ閑散としていたこの仮想空間も、いまでは様々な情報が溢れるようになり、とても便利になった。機能面で便利になっただけではない。巨大な匿名掲示板やブログなど、良くも悪くも人間の心に触れる通路を持つメディアが現れ、すさまじい勢いで膨張している。ブログにいたっては僕自身も半匿名で参加するようになった。

こういった現象のことを考えていると、アジールへの通路が塞がれてしまった人間の心が、その動きを歪めながら仮想空間の中へと向かっているようにも感じられる。現代を生きながら、社会のしがらみから逃れ、匿名で駆け込む仮想空間の存在には考えさせられることが多い。
posted by Ken-U at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。