2015年01月10日

『華氏451』 思想、表現の自由と死


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フランソワ・トリュフォー監督 『華氏451』 (シアター・イメージフォーラム)

原題『FAHRENHEIT 451』

書物が禁じられた世界。

近未来の世界が描かれている。モンターグは"fireman"。日々、書籍を隠し持つ家を捜索し、押収品を焼却する。帰宅すると、妻のリンダは壁掛け式のテレビ三昧。彼は吹き出しの無い漫画を眺めている。その日常は無味乾燥にみえる。

2015年1月7日、パリのシャルリー・エブド本社に覆面をした複数の武装したテロリストが侵入し、警官を含む12名を射殺した。その後、パリ市民は言論の自由を守るという名目のもと大規模なデモを実施する。
欧州人、とくにパリに住む人々にとって、この思想や言論の自由というものは社会の根幹をなす重要な要素なのだろう。先の事件とは逆に、本作では行政が思想を抑圧しようとするが、相手がテロリストにしろ、母国の行政府にしろ、個人が持つ思想、表現の自由は死守する。あちらの世界では、そうした考え方が強いのだな。と、現実を重ねながら、この半世紀近く前の映画を眺めた。
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2015年01月09日

映画鑑賞録 2014

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2014年に観た映画は以下のとおり、

『パリ、ただよう花』 ロウ・イエ監督
『ある精肉店のはなし』 纐纈あや監督
『ブルージャスミン』 ウディ・アレン監督
『マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ』 ファビアン・コンスタン監督
『グランド・ブダペスト・ホテル』 ウェス・アンダーソン監督
『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』 アレクサンダー・ペイン監督
『アクト・オブ・キリング』 ジョシュア・オッペンハイマー監督
『her 世界でひとつの彼女』 スパイク・ジョーンズ監督
『イヴ・サンローラン』 ジャリル・レスペール監督
『物語る私たち』 サラ・ポーリー監督
『フランシス・ハ』 ノア・バームバック監督
『ジャージー・ボーイズ』 クリント・イーストウッド監督
『レッド・ファミリー』 イ・ジュヒョン監督
『アメリカの夜』 フランソワ・トリュフォー監督
『馬々と人間たち』 ベネディクト・エルリングソン監督
『メビウス』 キム・ギドク監督
『6才のボクが、大人になるまで』 リチャード・リンクレイター監督

以上17本。これに加え、いまさらだけど、自宅で園子温監督の『愛のむきだし』を観た。13年から劇場に足を運ぶようになり、去年もそれなりに観ることはできたかなと。

自分が結婚したせいか、映画を観ながら家族について考えることが増えた。夫婦や家族の関係を描いたそ作品が多かったのかもしれない。という意味で、『物語る私たち』や『6才のボクが…』は印象深い。作品の力でいうと、やはり『ジャージー・ボーイズ』だけど、『ネブラスカ』の、あの過激なまでの地味さ、ラストの車窓からの眺めも捨てがたいなとか。振り返るといろんな気持ちを思い出す。今年は、できれば観た作品ごとに記録していきたい。
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2014年11月13日

ひさしぶりの更新

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この三年間、仕事に忙殺され、インプットもままならず、アウトプットの気力も湧かず。厳しい毎日だった。そして先月、退職を機に有給休暇をフル取得。およそ一カ月が経ち、ようやく気持ちが仕事から解放されつつある。その間、入籍と転居をすませた。

朝、妻を見送り、犬を散歩に連れ出して、読書など。こうして文字にすると優雅にみえるけれど、さて、これからどうなることやら。気持ちの整理も兼ねて、ブログを再開しようかと、テストを兼ねて更新。
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2012年01月02日

初詣

2012年1月2日(月) 晴れ

例年のように、近所の寺と神社をまわった。

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まず、隣町の神社。自宅からはここが最も近い神社となる。

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次に近くの寺社。本堂と、聖徳太子を祀る太子堂に参る。

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この町の鎮守様にご挨拶。ここで参拝のために列をなすのは初めてのこと。今回は、どこも参拝者が目立った。皆、神頼みか。

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最後にもう一軒、寺社へ。ひっそりしているこの場所にも参拝者がちらほら。

初詣を機に、久しぶりにブログを更新してみた。実に半年ぶりの更新だけれど、去年の下半期は猛烈に忙しくて疲弊してたからなあ。PCと向き合う時間はそれなりにあったけれど、文章をつくる心の余裕がまったくなかったという。自宅のPCでは、深夜、ニュースのチェックをしながら合間にTwitter、Facebookという有り様。

昨年、その後にみた映画は、

是枝裕和「奇跡」(シネマライズ渋谷)
エマニュエル・ローラン「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」(K'S CINEMA)
J.L.ゴダール「女と男のいる舗道」「女は女である」(K'S CINEMA)

ほかに、

「彼岸」荒木経惟(RAT HOLE GALLERY)
「ボディ・フェスティバル in '60s 展」草間彌生(ワタリウム美術館)

「空海と密教美術展」(東京国立博物館 平成館)
「Tokyo Photo」(東京ミッドタウンホール)
「ゼロ年代のベルリン」(東京都現代美術館)
「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」(東京オペラシティアートギャラリー)
「de Kooning retrospective」(MoMA)

こう羅列してみると、けっこうインプットしてるのだなあ。今年は仕事を少し落ち着かせて生活のバランスをとりたいと思っているので、以前のようにいかないにしてもブログの更新を心掛けたい。心のバランスも大切だと思う。
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2011年07月18日

久し振りの味スタ、その後は...

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7月17日(日) 晴れ

久し振りの味スタ。二度寝して、それからなかなか決断できずに(友人と会うか、なにもしないかで迷った)結局、着替えて下北に着いたのが15時ころ。カフェで軽くブランチをとり、ジンジャエールをいただいて、現地へと向かった。

ほどよいタイミングで到着。西日は少し残っていたけれど、すでに日は陰り、吹く風もここちよく感じられて、夕暮れの空と芝の緑を眺めながら呑む生ビールが格別に感じられた。FBにチェックインした。ツイートもした。

ゲームも快勝。とくに、田邉、高橋の成長が感じられて、若手の台頭のほかにも徳永の復活、さらにはルーカスの復帰など、チームの右肩上がりを実感するよい機会となった。難を言えば、大竹の投入時期が遅い。セザーはCFではない。

退場。思えば、味スタに足を運ぶのも2ヶ月ぶりか、などと考えながら下北で下車。魚が得意という居酒屋でいまひとつの刺身やほかのつまみ、焼きおにぎりなどを食べ、徒歩にて帰宅。23時過ぎくらいか。

*****

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シャワーやら諸々のあと、TVを点けたままベッドに入り、ウトウト。いつのまにかゲームが始まっている。アメリカ、強い。ドイツやスウェーデンよりさらに威圧感がある。これは厳しいゲームになるなあなんて思いながら、取られては取り返し、取られては取り返す姿に眠気も飛び、澤のゴールで絶頂。PK戦で極楽。これはすごい。これはすごいとツイート、FBにも上の画像のリンクを貼り、そのまままた二度寝の極楽へと堕ちていった。

7月18日(月) 曇り

なにもしない1日。生涯2度目、国内初のマッサージを受ける。これで本格的に解禁。今後はちょこちょこお世話になろうと思う。もういいかげん歳だしね。疲れ、とれるかな。
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2011年06月25日

「写楽」 駆け抜け、燃え尽きる

『写楽 特別展』 (東京国立博物館)

写楽の活動期間は一年弱と短いが、本展ではその作品群を四つの活動期に分けて展示。

sharaku.jpg第1期:夏狂言に取材した雲母摺りの豪華な役者大首絵
第2期:秋狂言に取材した全身像
第3期:その他の役者絵、役者追善絵、大童山を描いた相撲絵
第4期:新春狂言に取材した作品群

写楽の絵師のしてのピークは第1期で、華々しくデビューを飾ったが、以降、人気は衰退。作品が洗練されるとともに力が弱まっていくという流れはパンクに似ていて、大首絵の勢いや、役者そのものを写実的に描く点など(女形でも男性である役者そのものを描いている)、その大胆な作風も当時としてはパンク的だったのかもしれないなあ、などと勝手に考え、その在り方を70'sロンドンの下衆な音楽と重ねてみたり、息の長い活動をした北斎(過去記事)と比べて考えたり、浮世絵の幅の広さを自分なりに認識することができた。

実際、同時期に活躍した絵師の作品と比較できるよう同じ役者を描いた作品を並べて展示されていたり、単に絵をみるだけではなく、いろいろ夢想できるよう工夫を凝らしてあって、小一時間でさらさらみるつもりが、気づくと2時間近く居座ってしまった。

その後、閉館のアナウンスを聞きながらカタログを購入。暮らしが落ち着いたらゆっくり目を通したい。やはり写楽の絵は悪役の方がいいねとか、北斎のカタログと比較してみたり、そんな心のゆとりが欲しい。
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2011年05月29日

「愛しきソナ」 境界線を越えて

ヤン・ヨンヒ監督 『愛しきソナ』 (新宿K's cinema)

ソナは北朝鮮で生まれた。

sona_movie.jpgヤン・ヨンヒ作品は『ディア・ピョンヤン』(過去記事)に続いて二作目。今回は監督の姪にあたるソナにフォーカスをあて、およそ十五年に渡ってその成長振りを記録している。

ソナは可愛い女の子だ。はきはきとしていて礼儀正しく、カメラの前で屈託なくおしゃべりをしたり、無邪気に歌ったり、踊ったりする。北朝鮮というと、どうしても先入観が拭えないので、そこに住む人たちのことを平坦にイメージしがちだけれども、実際に暮らす北朝鮮の人々は私や私の周囲の人たちとそう変わらない。このドキュメンタリーを通して、よく考えてみると当たり前のことを改めて認識することができた。

しかしながら、やはり北朝鮮は違うな、と。殺伐とした風景、停電、エリートの家族の墓が山中の草むらの中にぽつんと立つなど、この国の抱える悲惨な背景を垣間見ながら、長兄の三番目の妻の歌にじんときた。人の心はかわらないのに、なにがこの深い溝を生み出しているのだろう。

『ディア…』上映の波紋により、北朝鮮はヤン・ヨンヒ監督の入国を拒否している。もう続編をみることができなくなるかもしれないと思うと、残念。
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2011年05月15日

「悲しみのミルク」 即興の歌、その儚さ

クラウディア・リョサ監督 『悲しみのミルク』 (ユーロスペース)

原題 『LA TETA ASUSTADA』

la_teta_asustada.jpg母が受けた痛み。娘はそれを母乳からを受け継いだと信じている。

以前、人文系の本を読んでいた頃、遠い昔の人たちは常日頃から歌うように語り、踊るように振舞っていたのだろう、詩の世界がもっと身近なところにあったに違いない、などと勝手な空想をしていたのだけれど、この『悲しみのミルク』の冒頭部分を眺めていて、ふとその頃のイメージが蘇った。そしてその幻がスクリーンに重なって、溶けていった。本作の舞台であるペルーでは、いまも人々の胸の中に詩の心が残されているのかもしれない。すでに都市部からは消えうせているとしても、山村ではわずかながら残されているのではないだろうか。だから彼女は語るように歌え、自分が抱える恐怖は実母の母乳から伝染したのだとかたくなに信じることができるのだろう。

この世界が抱える問題をそのまま提示するのではなく、歌にくるんで哀しい大人のおとぎ話に仕立て上げたところにこの作品の魅力がある。哀しみに押し潰されないため即興で歌う貧しき娘、そしてその歌を鍵盤を操ることで盗みとり「作品」に仕立て上げて喝采を浴びる富める女。隔てられた二つの世界に暮らす女が対比されながら、しかしダルデンヌ作品と同じく、なにも終わらぬまま結ばれるエンディングにも共鳴した。湧きでる歌のほかに、この世界に救いはあるのだろうか。
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2011年05月07日

味スタ 再開、そして...

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4月30日(土) 晴れ

この日を楽しみにしていた。震災後、中断していたJリーグがいよいよ再開するのだ。待ち遠しかった。だから気合を入れてスタジアムに向かうはずが、寝坊。しかしぎりぎりキックオフに間に合ったのである。

で、ゲームは散々。結果もよく憶えていない。ああ、開幕前に懸念していた大熊監督の手腕不足が早くも露呈してしまっているなあ。平山、米山がいないとしてもこのぐだぐだぶりは酷い。フットボールの目指すかたちがみえない。守備以外に意図はあるのか。ただ個々の選手が懸命にプレーしているだけで組織になりきれていない、という印象。とくに攻撃の意識の薄さは監督の影響が大きいのだと思う。

選手交代のたびにチームが弱体化するのも大きな問題だ。大熊さんに限らず、日本人監督は選手交代が概して下手だと思うけれど、眼前の問題を読み、分析してそれに対処することが苦手なのだろう。当初のプランありきではない柔軟な采配を望む。

あと、選手でいうと梶山が酷い。セザーには落胆した。谷澤には期待しているのだけれど、大熊さん途中で代えちゃうからなあ。大竹を出すタイミングも遅すぎるし。あと、すっかりみなくなった石川は怪我なのだろうか。展望は開けるのだろうか。

*****

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5月4日(水) 晴れ

羽田から渋谷へ移動。しかしロッカーの空きがなく下北へ。ここでもロッカーがみつからなかったので明大前のロッカーにキャリーケースを預け、軽くランチ。気持ちを整えてダービー・マッチに臨んだ。

しかしなあ、あれから4日間では組織を見直すことが難しいとはいえ、羽生を出したのはよかったのかもしれないけど、その代わりに谷澤がベンチでは意味がない。大熊さんにはセザーをベンチに置いてほしかった。高松のワントップに右から鈴木、羽生、谷澤のスリーシャドーでもよかったし、鈴木をトップに据えてもいいと思う。しかしセザーにこだわり組織は膠着、おまけにダイヴで退場となっては目も当てられない...

ゲーム後は珍しく大ブーイングが鳴り響いたけれど、それも致し方ないと思う。状況は深刻だ。当初の楽観的プランを引き合いに、「直ちに悪影響はない」なんて判断しているようでは未来はない。いまこんな状態で、果たして今季末までに昇格を決められるのだろうか。大熊さんで大丈夫か?
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2011年05月05日

帰国

昨朝、帰国。そのまま味スタに向かったので、帰宅したのは夕刻。

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5月2日(月) 晴れ

早朝、起床。洗顔等。あっさり荷造りを終えて出発。浜松町経由で羽田まで。

モノレールで着信。友人がすでに羽田にいるという。羽田に着いてやりとりしたが、時間がなく会えず。彼女はこの日から香港〜中国を旅するようだ。その後、いくつかtweetしたのち搭乗、離陸。

空港着。タクシーだとあっさりしてしまうなあと、A'REXなる高速鉄道に乗車。思いのほかスムースに市内まで。その後、ひと駅半ほどを徒歩にて移動。GPSの揺らぎのせいで方向を定めるまでに手間どったが、その後は安定。黙々と歩く。歩いていると、少し汗ばむくらいの陽気。

ホテル着。フロントで問題発生。ネットで予約したホテルは同グループではあるけれども別の館で、そこまで市内から車で30分ほどかかるという。わ、やっちゃった、愕然としている僕の前で、フロントの若い女性がその別館にTEL、ほどなく問題は解決。彼女の流暢な日本語によると、予約していた部屋はキャンセル(しかもキャンセル料は免除!)、そこかわりにこちらの宿泊料は少し割高になるというのだけれども、それは法外なものではなく、むしろ正当だとさえ思える手際のよさだったので即OK。カードキーを受けとり、ありがとうと言い残して部屋へ向かった。

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荷ほどき後、外出。地下鉄に乗って狎鴎亭(アックジョン)駅を降り、ポドシッタンでランチ。欲をかいて豚カルビ・スペシャルセットにする。日本語のわからん兄ちゃんに、ひとつで大丈夫?と確認したからオーダーしたつもりだったけれど(メニューには2人分からとあったので)、しかしモノがきてみたらしっかり2人前。でかいカルビが2枚、目の前でジュージュー。しかも、付け合せの小皿が無数、おまけに画像にはないけれどでかいチゲ鍋もついて、手強いなあと。しかし食べ残しても失礼にならない国でよかったなあなんて思いながら、カルビは完食。もたれながら、会計をすませた。

腹ごなしに、歩く。カロスキルに向かうが思いのほか遠く、諦め、一旦アックジョンドンに戻り、さらにその先にあるチョンダムドンへ。しかしそこも予想外に遠く、やっとの思いで着。周辺を散策した。洒落た店の並ぶ閑静な街並みだなあ、なんて思いながら。途中、脚が痛くなってこれまた洒落たオーガニック系のカフェで休息。ソウルはカフェが多くてうらやましいと思いつつ。

このエリアのラグジュアリー加減に驚きながら、そのまま島山公園付近を経由し、ふたたびアックジョンドンへ。立派な百貨店、有名ブランドの路面店(そのヤカタがいちいち立派なのだ)、ハイモードのブランドを集積したギャラリーのようなセレクトショップ、そしてその前に並んだ高級車、控える運転手...噂には聞いていたけれど、実際に目の当たりにするとまた衝撃もひとしお。撮影するのをすっかり忘れ、彷徨う。

地下鉄で移動し、ホテル着。途中、コンビニでなぜかベルギービールを買い、ベッドでうとうと。しかし気をとり直して夕食に向かった。昼のダメージを考慮し近場の粥にしたのだけれど、その粥が丼にガツンと入っていて心の中で苦笑。しかし完食。

部屋で缶ビール1本。その間、MTVのKorean Top 20をぼんやりと眺めながら、うとうと。その後、シャワー。いつのまにか就寝。

*****

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5月3日(火) 晴れ

予定より少し寝坊。で、仕度して徒歩にて移動。大漢門を横目にサムチョンドンまで。

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ここもまた洒落たエリアで、ギャラリー、カフェがひしめく落ち着きのある街であった(あとで分かったのだけれど、このエリアをもう少し東に行くと『うつせみ』で女性を癒した古い街並みがあるらしく、少し後悔)。で、知人に教えてもらったソソンジェ。ここは自然派の料理屋であるけれど、「韓牛」の文字に負けて少し高めのコースにする。またやっつけられちゃうかなあ、なんて思いながら。

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完食。満腹になったけれど過剰なものではない。その後、カフェでまったりしたかったけれど、時間の都合もあって徒歩にて移動。ホテルちかくのマッサージ屋へ。

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滞在したホテル近くは東京でいうと渋谷的な繁華街だと思う。そのガヤガヤした通りのとある雑居ビルの4階。知人の紹介がなければなかなか足を踏み入れられない怪しげな空間を抜け、店に入る。ここは足つぼマッサージが基本らしく、今回はそれに上半身マッサージをつけたコースをお願いする。しかし外観とは違って店内は清潔感があり、たしかCreaだとか日本の雑誌にも紹介されているらしく、日本人客が目だった。で、マッサージ師の女性に、「コッテマスネー」なんていわれて小一時間。生まれて初めてのマッサージは心地よく、しかし肩のコリはまだまだ。帰国後にさらなる措置を施さねば。

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その後、ホテルで小休止。で、地下鉄をつかってハンガンジン、Leeum美術館を訪ねる。しかし時刻はすでに17時。オーディオガイドを訊ねてももう17時だからお勧めしない、といわれ、たしかにその通りかもなあなんて諦め、駆け足で中世の青磁、白磁、金属器から韓国現代美術までをちゃらちゃらと。

閉館とともに退館。結局、国立中央博物館はいけなかったなあと思いながら、ハンガンジン駅近くにあるギャルソンのビル。その1Fのカフェにて休息。ソウルの街はいちいち洒落ているのだ。

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地下鉄で東大門へ移動。あたりはすでに暗くなっている。

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で、潜入した裏路地には料理屋がずらり。その中の一軒、元祖ウォンハルメ・ソムンナン・タッカンマリにてタッカンマリをいただく。ここはその分野ではかなりの名店らしいが、広い店内を見渡しても観光客は見当たらず。で、入り口で意を決してひとりでも大丈夫か尋ねると、店の者が入れはいれとジェスチャー。2人前24,000ウォンのところ、ひとりだから20,000ウォンにしてくれるとのこと。割高にはなるけれど、しかたないよね。激混みの店内でひとりで食べてる人なんて他にはいないし。で、マッコリをつけて完食。煮えるタイミング、食べ方など、日本語、英語、ジェスチャーを入れ混ぜながら教えてくれ、感謝。でも、帰り際は無愛想な人々。しかしそれも味わい深いものである。

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ホテルでシャワー。TVを眺めながら、明朝のことを考慮し早めに就寝。

*****

5月4日(水) 晴れ

早朝に起床、洗顔等。荷造り。ホテルをチェックアウトし、空港までの移動手段を相談。急ぐのであればタクシーがいいと言われ、料金の目安を訊くと30,000ウォンというのでまあいいかと1台お願いした。で、乗車。初老の小柄な運転手がオハヨウゴザイマス。挨拶して、出発。

車窓から近代都市を眺め直す。なんかソウルってやっぱり東京よりマッチョ感あるよなあってなんとなく考えていたら、運転手がクレジットカードを催促。気が早いなあなんて思いながらも手渡すと、メーターが30,000ウォンになったところでそのカードを器械に通し、ディシュカウント、と二回唱えてカードを戻す。ん?しばらくして、ああディスカウントのことかと気づいた。

空港着。キャリーケースを受け取り、ありがとう。加えて、「ディスカウントありがとう」と言うと、彼、うししししししと笑う。

搭乗。東京よりも新しくて古い街。より豊かで、貧しい街。その格差、コントラストもまたこの街の魅力なのだろう、と思いながら美女ぞろいの大韓航空機内をぼんやりと眺めた。いま、わたしは魂の街ソウルを愛している。
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2011年04月23日

「SOMEWHERE」 まだみぬ未来へ

ソフィア・コッポラ監督 『SOMEWHERE』 (新宿ピカデリー)

閉塞の中、男は車を棄てた。

somewhere.jpgソフィア・コッポラの新作。主人公が裕福な世界に暮らしていて、孤独で、といういかにも彼女らしい世界を描いた作品だったけれど、これまでと大きく異なる点はあって、それはノイズの扱い方なのだと感じた。過去の作品では、悪くいえばサントラのプロモーション・フィルムみたいな演出というか、作品世界からノイズが排除され、そのかわりに趣味のよい音楽がひたすら流れ続ける綺麗な画づくりという印象があって、眺めながら、いつもイヤホンをつけて暮らしている人に世界はこのようにみえるのだろう、しかし現実の世界はノイズに覆われていて、鳥がさえずったり、木の葉が擦れ合ったり、とつぜん地鳴りが響いたり、サイレンが鳴り響いたり、笑ったり、泣いたり、溜息をついたり叫んだりしているわけで、そうした生々しさというか、この世界との距離感に少し物足りなさを感じる部分もあったのだけれども、今作は違う。冒頭から車のエンジン音(とくに止まったあとの余韻)がとても印象的で、その後も、とくに事件らしい事件が起きるわけでもなく、主人公の孤独を包むこの世界の有り様が淡々と描かれてゆくのである。僕は、その描写にある種の成熟を感じた。

車を乗り捨てた男の行く先には何があるのか。光か、闇か。想いをめぐらせながら、垣間みえた笑みに未来を感じた。まだみえぬ未来に向けて、歩く。
posted by Ken-U at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(USA) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月27日

「ファンタスティック Mr.FOX」 生命に感謝、そして祝杯

ウェス・アンダーソン監督 『ファンタスティック Mr.FOX』 (シネスイッチ銀座)

原題: 『FANTASTIC MR. FOX』

生きていてくれて、ありがとう。

fantastic_mr_fox.jpgストップモーション・アニメでつくられてはいるけれど、父と息子の関係であるとか、散りばめられた笑いによる独特のゆるみなど、本作でもいつものウェス・アンダーソンらしさは健在であった。でもアニメであるせいか、表現の幅、奥行きに限りが感じられるところもあって、これはこれでいいのだけれど、正直、次作は実写だといいなと思った。つまり、いい歳こいた私にはまずまずの作品だったのだ。とはいえ、近くにいた子供たちが喜んでやいやいしていたので、やはり、これはこれでいい作品なのだと思い直したり。

息子は父親との関係をこじらせている。自分が父親に認められていないと感じていて、でもその想いに押し潰されてしまわないよう葛藤し、反抗してみせたり、常にもがいている。それであえて無茶をしたり、その挙句に失敗を重ねてさらなる偏屈の穴倉の中に陥りかけてしまうのだけれど、しかし彼の父親はさらに無茶な男で、それで親子の無茶がさらなる無茶を誘発し、ついには家族や周囲の人たちを巻き込んで無茶苦茶な事態を招いてしまうのだ。しかしこの喜劇的な無茶苦茶は、父と息子が、じつは心に同じ問題を抱えながら生きていることを顕していて、どこか切ない。

この『ファンタスティック Mr.FOX』においてウェス・アンダーソンが描きたかったのは、いよいよというところで父が息子に語りかける、あの場面なのだと思う。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』のときと同じように、父が息子に珍しく優しい言葉をかけ、その言葉をきっかけにすべてが収束に向かい、人々が再び平和につつまれる。いわゆるハッピーエンドが彼の世界に訪れるのだ。で、その言葉とは、生命に対する感謝の気持ち。父は、我が息子に、生まれてくれてありがとう、と感謝の気持ちを伝える。ウェス・アンダーソンは、本作を観るすべての子供たちにこのメッセージを伝えたかったのだろう。だからこそ、この作品をアニメで仕立てたのだ。

この世に生まれ出たこと、いま生きていること、その事実そのものが素晴らしく、感謝せずにはいられない。そうした気持ちを誘発する作品と、いま出会える奇跡。
posted by Ken-U at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(USA) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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